奴奈川姫命は御色黒くあまり美しき方にはおはさざりき。
さればにや一旦大国主命に伴はれたまひて能登の国へ渡らせたまひしかど、御仲むしましからずしてつひに再び逃げかへらせたまひ、はじめ黒姫山の麓にかくれ住まはせたまひしが、能登にます大国主命よりの御使御後を追ひて来たりしに遇(あ)はせたまひ、そこより更に姫川の岸へ出(い)でたまひ川に沿うて南し、信濃北条の下なる現称姫川原にとどまり給ふ。
しかれとも使のもの更にそこにも至りたれば、姫は更にのがれて根知谷に出でたまひ、山つたひに現今の平牛山稚子ヶ池のほとりに落ちのびたまふ。
使の者更に御跡に随(したが)ひたりしかども、ついに此稚子ヶ池のほとりの広き茅(かや)原の中に御姿を見失ふ。 仍(より)てその茅原に火をつけ、姫の焼け出されたまふを俟(ま)ちてとらへまつらんとせり。
しかれども姫はつひに再び御姿を現はしたまはずしてうせたまひぬ。 仍て追従の者ども泣く泣くそのあたりに姫の御霊を祭りたてまつりしとなり。 |