「一はすなわち一切であり 一切はすなわち一である」とする華厳経の教義は「細部は全体 全体は細部」という現代理論物理学が説く「フラクタル(入れ子)宇宙構造」である。
それはまた日本を代表する哲学者、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の祖型であり、禅の思考法である「静中動あり 動中静あり」の元型である。
また「万物は相互にその自己の中に一切の他者を含み 相互に関係しあい 円融無礙に旋回しあっている」とする華厳経の教義は物理学者、デビット・ボームが示した「目に見えるすべての明在系には宇宙の一切を統御する暗在系(宇宙の内蔵秩序)が含まれている」とする宇宙構造であり、これを一歩進めれば純粋密教における大日如来の存在とそれによる宇宙把握に至り、さらにもう一歩進めれば宇宙の密なる内面から方法さえ会得すれば無限の利益をひきだすことができるとする密教的実践へと転換される。
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