絵島のことである。今から300年前、江戸の巷間を騒然とさせた前代未聞の疑獄事件、「絵島生島事件」の主役、絵島その人の話である。
数年も前になろうか、晩秋から初冬に移りゆく肌寒い日の午後、私は伊那市高遠町の山里にひっそりと建つ蓮華寺を訪れた。本堂を裏手に回った高台にその人の墓石が寂しく据え置かれ、横には等身大と思われる絵島の石像が当時の装束を身にまとってすっくとたたずんでいた。流れ行く蕭条たる静けさの中を通過してきた黄昏の斜光がその端正な面立ちをほんのり茜色に染めている。大奥女中の容色は遥かな時空を越えてさえ、少しも衰えることなく、か細い肩には余るほどの矜恃を載せ、小さき胸には収まらぬほどの意地を秘め、誇り高く光彩を発していた。その「像としての存在感」はかって絵島が幽閉されていた囲い屋敷で感じた「名としての存在感」を遥かに凌駕する艶めかしさで私に迫ってきた。私は絵島の語る声を聞き漏らすまいと身を虚しくして現前する絵島その人を眺めつづけた
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