Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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自由人への希求〜逆因果律に向けて
 第2023回 「自由人への希求〜束縛からの解放に向けて」 では、自由人への道を閉ざす 「さまざまな束縛」 について考察した。 時間経過にしたがって現れる原因と結果で構成される 「因果律」 もまた自由人への道を閉ざす束縛である。 過去へは戻れないという時間の絶対的な 「非可逆性」 が自由人への希求を打ち砕いてしまうのである。 過去に為した失敗は、どうあがいても元に戻すことができないことが、その 「束縛の内実」 である。 巷間、「親ガチャ」 という言葉が流布されている。 「親ガチャ」 とは、子どもは親を選ぶことができず、親の経済力、教育、虐待、家庭環境などが子どもの人生に大きく影響を与える状況を、おもちゃのガチャポンに見立てて表現したものである。 これもまた自由人への道を閉ざす 「因果律の束縛」 を語っている。
 「逆因果律」 とは、私が着想した時間経過にしたがって現れる原因と結果の順序を逆にした 「独自の因果律」 である。 そのあらましは以下のようである。
 かく今、自身が存在するためには 「過去のすべてが必要であった」 と考えることができる。 そして、「自身の未来を創りだす」 ためには、その 「自身の過去が必要不可欠」 であって、その過去がいかなるものであったとしても、その 「材料」 なしに未来を創りだすことはできない。 曰く、自身の過去を否定して、自身の未来を生みだすことはできない。 もしも仮に、かかる未来において、何ごとかを創りだしたとき、その材料であった 「過去の意味」 が確定されると考えるならば、逆の因果律が成立する。 そうつまり、「未来が原因で過去が結果」 という考え方である。
 人はその人生観において、過去は絶対的に変更不能ということを信じて疑わない。 ゆえに過去の失敗は取り返しがつかない。 だが 「人間万事塞翁が馬」 という諺のごとく、その失敗があったがゆえに、未来において何事か成功したとき、過去の失敗は取り返しがつかないどころか 「必要不可欠な失敗」 ということになる。 つまり、未来に成す何事かに依って、過去に為した何事かを変更しうる。 過去が未来において変更可能であるとすれば、未来の意味は大分変わってくる。 可能性に賭ける人生とは、この未来を原因化する人生である。 9回裏2アウト満塁で3点差、ここでホームランを打てば、過去の失敗は成功に転化する。 この一発逆転を目指してヒーローはバッターボックスに入るのである。 勝負は下駄を履くまでわからないのであって、物事は終わりよければすべてよしなのである。
 過日、コピーライターの糸井重里氏の 「面白い発想」 を知るにおよんで、なるほどと感得した。 その発想を抜粋すると以下のようである。
 かつて、ぼくは、「ピラミッド型組織」を横に倒して船のように見立てるのがいいと考えた。 てっぺんにえらい人がいるというより、責任を持って船の進路を決める人が前にいる。 食事係でじゃがいもの皮をむいている人も、動力をコントロールしている人も、次の港での交易を計画している人も、それぞれ互いにいのちを預けあった乗組員だ。 この考え方、なにかといろいろおもしろくしてくれる。 (中略) 映画館で考えていたのが、また横に倒すことだった。 なにを横に倒してみるのか? 「トーナメント表」 である。 頂点の1人を、横にしてみたら出発点に思えるだろう。 つまり、ひとりの人間がいま生まれた状態。 この段階では、まずすべての人が参加している。 少し生きると、選択肢2つのどちらかになる。 もう少し生きていくと、選択肢4つの1つになる。 少し生きることが進行するごとに、8、16、32、と ・・ どんどん生きてきた道筋と、いる場所は変化する。 まったく別の道を歩いてきた人と出合ったり、近い人と、ちょっとしたことで離れることになったり、横に倒したトーナメント表は、無数の運命を、無数の未来を、無数の交流を生み出し、複雑のうねうねと生きもののように成長する。 目の前には、意味のわかりにくい選択肢が、次々に現れて、人は次々にどちらかを選び続ける。 「そっちを選ぶと、いままで避けてきた方向に導かれてしまうぞ」 なんてこともあるだろうし、沈む方へ沈む方へと向かっていた人が、なにかの選択の場面で浮かぶようになることもある。 たったひとりの勝者を決めるはずのトーナメント表が、ずいぶんと豊かな 「人生表」 に見えてくる。 これはおもしろいや! 映画の主人公たちの、その都度の選択のドラマが、ぼくに、ちょっと別の考え方を与えてくれた。
 そうである。 この発想は、自身が存在するためには 「過去のすべてを必要とする」 という、私が着想した 「逆因果律の世界」 を語っているのである。 トーナメント表は通常、最上部のひとりの勝者に向けて最下部から上に向かっての道筋を示している。 糸井氏はそのトーナメント表を横に倒すことで、時間の最先端にいるひとりの勝者がたどる 「運命の道筋」 を思考しているのだ。 逆因果律と同じに 「自身の過去を否定して自身の未来を生みだすことはできない」 のである。
 それはまた、物理学者リチャード・ファインマンが提唱した 「いろいろな出来事を時間の順序で並べるのは的はずれであって、可能なすべての過去と未来を加算すれば我々が眺める現在に至る」 という 「経路積分」 の考え方と通底で一致する。 哲学と科学はかく邂逅したのである。

2025.08.27


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