Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

過去と未来の象出
 過去と未来が現在に重層的に内蔵されている 「シンプルな宇宙」 の構造において、意識を基に構成されている過去や未来が、物質を基に構成されている現在に 「いかなる回路」 を経て象出するのであろうか? 過去の象出が記憶意識に依存し、未来の象出が想像意識に依存することは長い人生経験を省察すれば素直に了解されるであろう。 ではその意識回路を起動するものとは何か?
 人は 「見たことがないはずのものを、見たことがあるように感じる」 ことがある。 「既視感(デジャブ)」 といわれる感覚である。 この感覚を演繹すれば 「象出する過去や未来はすでにして現実において体験したものである」 とする考え方が導かれる。 その考え方は、理論物理学者リチャード・ファインマンが提唱した 「経路積分」 による量子論的な宇宙解釈に相似する。 経路積分については、第1861 「大いなる錯覚からの覚醒〜経路積分」 を参照願えれば幸甚である。 その中でファインマンは 「いろいろな出来事を、時間の順序で並べるのは的はずれであって、すべての経路を加算すれば、実験者が観察する最終的な量子状態に至っている」 と主張していることは特筆に値する。 ここでいう出来事を時間の順序で並べるのは的はずれとは 「線形時間の廃棄」 のことであり、全ての経路の加算とは、現在に内蔵されている 「全ての過去と未来」 のことに他ならない。
 前回の 第1950回 「永遠の刹那に生きる」 の末尾で、私は以下のように書いた。
 私はそのシンプルな宇宙の 「どこにもいて、どこにもいない」 存在として 「永遠の刹那」 に生き続けているのである。
 それを要約すれば、私は全ての過去と未来の 「どこにもいて、どこにもいない」 存在として、般若心経がいう 「色即是空、空即是色」 (あるとおもえばない、ないとおもえばある) という永遠の刹那である現在の曼荼羅世界の中に生き続けていると還元される。

2024.12.03


copyright © Squarenet