人は 「見たことがないはずのものを、見たことがあるように感じる」
ことがある。 「既視感(デジャブ)」 といわれる感覚である。 この感覚を演繹すれば 「象出する過去や未来はすでにして現実において体験したものである」
とする考え方が導かれる。 その考え方は、理論物理学者リチャード・ファインマンが提唱した 「経路積分」 による量子論的な宇宙解釈に相似する。
経路積分については、第1861
「大いなる錯覚からの覚醒〜経路積分」 を参照願えれば幸甚である。 その中でファインマンは 「いろいろな出来事を、時間の順序で並べるのは的はずれであって、すべての経路を加算すれば、実験者が観察する最終的な量子状態に至っている」
と主張していることは特筆に値する。 ここでいう出来事を時間の順序で並べるのは的はずれとは 「線形時間の廃棄」 のことであり、全ての経路の加算とは、現在に内蔵されている
「全ての過去と未来」 のことに他ならない。
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