8月18日、映画 「太陽がいっぱい」 を演じた名優アラン・ドロンが死去した。
フランスのマクロン大統領は 「世界中に夢を与えたスターであるとともにフランスの記念碑であった」 と讃えた。
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幼少期に両親が離婚、家業を継げるようにと豚肉加工の資格を身につけたが、家を出るため17歳で海軍に入隊、戦争が続いていたフランス領インドシナへ渡った。
20歳で除隊後、パリの歓楽街で暮らしていたが、惚れ込まれた女性俳優との縁で、「太陽がいっぱい」 の主役リプリーの座をつかんだ。
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監督のルネ・クレマンは当初、リプリーによって殺害される裕福な友人グリーンリーフ役をアランに割り当てたが、アランは自分こそがリプリーにふさわしいと直談判、長い議論の末、部屋の奥にいたクレマン監督の妻が発した
「ルネ、この子が正しい」 という鶴の一声できまったという。
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アランは日頃から役は 「演じる」 のではなく
「生きる」 ものだという独自の方法論を語っていた。 アランは裕福な友人グリーンリーフを殺害してしまう孤独な影をもった人間を 「生きたかった」
のかもしれない。 それは 第1923回
で述べた想像と現実が一致した 「即身の完成」 であった。 記憶に残る 「一場面」 として、映画 「太陽がいっぱい」 が今も尽きることなき
「永遠性」 をもつ所以はそこにある。
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それと同時に、ひょっとすると、「映画の中で生きたアラン」
は、現実の中では、「アランの人生を演じていた」 のかもしれないという想いが脳裏をよぎった。 彼ほどの名優であってみれば、そんな
「企み」 をしても不思議ではない。 そうであれば、アラン・ドロンは今も尚、「生き続けている」 ことになる。
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