空海が創始した真言密教の中心概念は 「即身成仏」
であるとされる。 即身成仏とは、人間が現世で受けた肉体のままで仏となることと訳される。 だが私が言う 「即身」 とは 「身の内なる意識としての想像と身の外なる物質としての現実が一致する」
ことである。 そのような解釈が真言密教にあるわけではない。 かくなる解釈は、空海の足跡をたどることで知り得た書物や事跡を総括する中から、私が独自に創った概念である。
しいて言えば 「そのように解する」 ことで、空海が目指した 「なにごとか」 がより明確化され、もって私自身が得心させられるからに他ならない。
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だが想像と現実を一致させることが 「即身である」
と言われても、何を意味しているのか不明であるにちがいない。 それをより分かるように具体例をもって話をすれば、以下のようになるのだが、どうであろう?
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記憶に残る歌手には 「この一曲」 という歌唱がある。
それは歌が上手いということではない。 その歌手とその歌唱が完成しているということである。 たとえばそれは、居酒屋で歌っている酔客のカラオケが、ちっとも上手くないのになぜか完成しているように感じられるようなものである。
そこには想像と現実が一致した即身が実現しているのである。
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ここでいう想像とは、歌手がその曲に抱く想いであり、現実とは、それによって生まれた歌唱である。
時として、その想いと歌唱が現実として 「完璧に一致する」 ことがある。 その歌唱が永遠の時空に昇華し 「記憶に残る一曲」 となるのは
「即身が完成」 した証である。 かくこのように、即身は 「宇宙の局所」 でさまざまに発生する。 但し、あなたの想像と現実が完全に一致した場合にのみという条件付きではあるのだが
・・ 畢竟如何。
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