Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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遊びをせんとや生れけむ
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそゆるがるれ
(訳) 遊びをしようとして生まれてきたのであろうか。 それとも、戯れをしようとしてうまれてきたのであろうか。 無邪気に遊んでいる子供のはしゃぐ声を聞くと、大人である私の身体までもが、それにつられて自然に動き出してしまいそうだ。
 平安時代末期の1180年ごろ、後白河法皇によって編まれた 「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」 の中で、もっとも知られているのがこの歌である。 「梁塵秘抄」 に収められた 「今様」 は当時の流行歌のようなものであり、短歌が格調高い宮廷文学なら今様は大衆歌謡である。
 そこには、人は遊びをしようと生まれ、戯れに興じようと生まれてきたはずなのに、大人になるとあくせくと働き人間関係に疲れ悲しみ不運を嘆いている。 だからこそ、遊び戯れる子供の声の可憐さに、そのいとおしさに、自分の身体も一緒に動いてしまうという反語的世界が描かれている。
 2012年のNHK大河ドラマ 「平清盛」 では 「夢中になって生きる」 というメッセージを表現するために、この歌をメインテーマ曲として使用した意図もここにあったであろう。 「平家にあらずんば人にあらず」 と言われるほどの平家一門専横による比類なき覇権を築きあげた平清盛であったが、やがてくる 「驕る平家は久しからず」 の喩えのごとく滅亡してしまう。 「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそゆるがるれ」 の歌は人生の栄枯盛衰に殉じた清盛の心中を語ってあまりある。
 だがなぜかドラマは不評で、大河ドラマでの最低視聴率を更新してしまう。 低視聴率への批判に対して、主役を演じた松山ケンイチはクランクアップした際、真摯に作品に臨みながら最低を叩き出すことは 「最高を達成」 することと同じように難しい、むしろ光栄に思うと述べている。 それは若き日の松山ケンイチがのこした面目躍如たる風景でもあった。
 またこの歌には別の解釈がある。
 それはこれを日頃よく歌っていた遊女などの女性たちの視点からの解釈であって、「遊び」 や 「戯れ」 に、もっと大人の意味をしのばせて、実は我が身を売って生きる境遇を嘆いていると言うものである。
 無邪気に遊びをしようと生まれ、戯れに興じようと生まれてきたはずなのに、このわたしの今の有り様は何であろう。 結びの我が身さへこそ揺がるれには、表面的な姿の背後に、生きることの哀しみに揺れる遊女の心が重なっていて、子どものあどけなさと遊女との対極とも言える現実の解離が歌に溶けあっているとする解釈である。
 以下は 第1315回 「最高のスキル」 からの抜粋である。
 この世を 「このろくでもない すばらしき世界」 と断言するサントリーの缶コーヒー 「BOSS」 のキャッチコピーはまた、維新の英雄、高杉晋作の 「面白きことのなき世を 面白く」 という人生観に通底で一致する。 だが 「このろくでもない世界」 を 「素晴らしい世界」 にするためには 「尽きぬ想像力」 と 「弛まぬ努力」 が必要不可欠である。 その想像力と努力はまた 「面白きことのない世界」 を 「面白くする」 ことにおいても同じく必要不可欠である。 この世を生きるにおいての 「最高のスキル」 というのであれば、かくなる想像力と努力であろう。 それ以外は2次的なスキルであって 「あっても なくても」 どちらでもいいものである。
 いずれにしても 「遊びをせんとや生れけむ」 とは、第1876回 で掲げた 「瞬間にある永遠とは何か?」 を問い続けた者らが究極で行き着いた世界であったことには相違はない。

2024.03.02


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