Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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立原道造の風景〜あの道がこの道であること
 夭折の詩人、立原道造は友人に宛てた書簡の中で以下のように語っている。
 いつか僕は忘れるだろう。 「思ひ出」 という痛々しいものよりも僕は 「忘却」 といふやさしい慰めを手にとるだろう。 僕にこの道があの道だったこと、この空があの空だったことほど今いやなことはない。 そしてけふ足の触れる土地はみな僕にそれを強ゐた。 忘れる日をばかり待ってゐる。
 特筆すべきは 「この道があの道だったこと、この空があの空だったこと」 という表現方法である。 道造は 「思い出とは、この道があの道であること、この空があの空であること」 と簡潔にして明瞭に表している。 こまごましい説明を軽々と飛び越えて核心を貫いているのである。
 あの道にあって、この道にないものとは 「あの時間」 である。 あの道にあったものとは過去となった 「あの時間」 であり、それは現在のこの道にはない。 現在にあるものは現在にある 「この時間」 である。 道造のこころを苦しくさせているものとは 「二度と再びあの時間にもどれない」 という時間がもつ絶対的非可逆性に対する嘆きである。 後悔は先には立たないのであり、覆水は決して盆にはもどらないのである。
 ではあの道にあった物理的条件(天候や環境条件等)をこの道の物理的条件として完璧に再現した場合はどうであろう。 違いはあの時とこの時という時間のみである。 だがそれは意識としての時間であって、意識を消滅させれば 「あの道」 は 「この道」 と同じである。 それがゆえに道造は救いの道を 「忘却」 に求めたのである。 つまり、忘却とは意識を消滅させることに他ならない。 だが感受性に優れた道造であってみれば、いくら忘却を求めたところで意識ある身をもってしては、それは不可能なことであったであろう。
 物理学的な 「時空間」 とは時間と空間という2つの要素によって構成された宇宙である。 しかして、Aという時空間と、Bという時空間の同一性は、この2つの要素の一致をもって保証されるのであるが、「時間の始まりと終わり」 や 「宇宙の果て(空間の果て)」 という時間と空間にまつわる根源的な疑問に対する明確な解答をもっていない我々人間にしてみれば、あの時間とこの時間が同じであること、あの空間とこの空間が同じであることを、どのように保証できるのであろう。 まして 「時は流れず」 と考えている私とすれば、あの道とこの道の違いは、時間の違いではなく、意識の違いと考えることに妥当性を覚える。 つまり、あの道にあったものとは 「あの意識」 であり、この道にあるものとは 「この意識」 なのである。 私はこのような 「意識のめぐり逢い」 を 「時空のめぐり逢い」 と呼んでいる。
 私は 第1864回 「実験的経路積分紀行〜風景の物語」 で、時間は人間の主観的な意識場においては、流れていることが保証されても、現在のような客観的な物質場においては、流れているかは保証されない。 私は過去や未来は線形に配列されるものではなく 「現在に含まれている」 のではないかとし、信州つれづれ紀行で描かれた津々浦々の 「風景の物語」 は私がその地を訪れたことで、自然風景の中に含まれていた私の過去や未来の意識が現在に象出することで発生した内なる時間の流れが紡いだ 「自らの物語」 であって、とりまいていた自然には 「時間は存在せず(流れず)」、運動する風景として、ただそこに存在しているだけであると書いた。 詩人、立原道造もし生きてあれば、これをいかに聴いたであろうか?
 とまれ、道造は苦しくはあったが、かくなる時空のめぐり逢いの中から、不思議に透明で、夢のように甘美な、純粋詩を紡ぎだし、時代を駆け抜けていった。 それはまた立原道造の 「風景の物語」 であったことだけは確かである。

2024.02.09


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