Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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道元の悟りとは〜心身脱落から只管打座へ
 本エッセイでは、「心身一如(しんしんいちにょ)」、「心身脱落(しんしんだつらく)」、「只管打座(しかんたざ)」 ・・ 等々の言葉が時と所を変えて登場してきた。 これらは曹洞宗の開祖である道元禅師が説いた思想の根幹を成す概念を表した言葉である。 ここで道元がたどった生涯を俯瞰しながらその 「思想の系譜」 を追ってみる。
 道元は、正治2年(1200)1月、京都の貴族の名門に生まれた。 異説もあるが、従来の説によれば、父は内大臣久我通観、母は関白太政大臣藤原基房の娘伊子である。 3歳で父を、8歳で母を失った道元は14歳で比叡山に上って出家した。 貴族としての政治の世界から、宗教の世界へと身を転じたのである。 だが比叡山に入ってすぐに、道元は1つの疑問に逢着する。 仏教においては、「人間はもともと仏性を持ち、そのままで仏である」 と教えているのだが、どうして仏になるための修行をせねばならないのか? 疑問とはそのことであった。
 道元はかくなる疑問を比叡山の学僧たちにぶつけたが、誰も満足のいく答えを与えてくれなかった。 比叡山を下りて、諸方の寺々に師を求めて訪ね歩いたが、求める答えが得られなかった道元は、宋に渡ることにした。 貞応2年(1223)、道元24歳のときであった。 だが、宋においても師に出会えなかった道元は諦めかけて日本に帰ろうとしたそのとき、天童山に新たに如浄禅師が入住されたことを聞き、天童山を再訪する。 道元は、中国に来て最初に天童山を訪れてはいたが良師には巡り合えなかったのである。 如浄禅師に会った道元は、この人こそ、自分が求めていた師であると直感、如浄の下で参禅、豁然と大悟したのである。 それは、中国の元号、宝慶元年(1225)、道元26歳のときであった。 大悟のきっかけは、大勢の僧が早暁坐禅をしているとき、1人の雲水が居眠りをしていたのを如浄が 「参禅はすべからく身心脱落なるべし」 と叱声を発して警策を加えたのである。 その瞬間、 道元は悟りを得たのだという。 ともあれ、道元が悟りを開いたきっかけは、そのとき聞いた 「身心脱落」 という言葉であった。 その後、この言葉は道元思想の 「キーワード」 となる。 それは、この言葉さえ分かれば、道元の思想が理解できるということにあった。
身心脱落とは
 簡単にいえば 「あらゆる自我意識を捨ててしまう」 ということである。 我々は皆、自我意識を持っている。 「わたしは立派な人間だ」、「わたしは品行方正である」 等々。 自我意識があるから、自分と他人をくらべて、優越感を抱いたり、劣等感にさいなまれたりするのである。 そういう 「自我意識を全部捨ててしまえ」 というのが 「身心脱落」 の意するところである。 勿論、意識ばかりでなしに自分の身体だって捨ててしまうのである。
 宗教評論家(仏教思想家)の 「ひろさちや」 はその 「身心脱落」 を以下のように解説している。(必要にして充分なる名解説である)
 ・・ わたしは、自我意識というものを角砂糖に譬えます。 わたしというのは角砂糖です。 そして他人も角砂糖。 わたしと他人との接触は、角砂糖どうしのぶつかり合いです。 それで角砂糖が傷つき、ボロボロに崩れます。 修復不可能なまでに崩れることもありますが、普段は崩れた角砂糖をなんとか修復して、それで 「自我」 を保っているのてす。 道元の身心脱落は、そんな修復なんかせず、角砂糖を湯の中に放り込めばいいじゃないか、というアドヴァイスです。 湯の中というのは、悟りの世界です。 わたしという全存在を、悟りの世界に投げ込んでしまう。 それが身心脱落てす。 そうすれば、わたしたちには迷いもなくなり、苦しみもなくなります。 いや、そういう言い方はおかしい。 迷いがなくなり、苦しみがなくなるのではなしに、わたしたちは大きな悟りの世界の中でしっかりと迷い、どっぷりと苦しめばいいのです。 迷いや苦しみをなくそうとするから、かえってわたしたちは迷いに迷い、苦しみに苦しむのです。 そんな馬鹿なことを考えず、迷っているときはただ迷う、苦しいときはただ苦しむ。 それこそが身心脱落にほかなりません。 けれども身心脱落は自己の消滅ではありません。 角砂糖が湯の中に溶け込んだとき、角砂糖が消滅したのではないのです。 ただ角砂糖という状態が 「俺が、俺が ・・」 といった自我意識でなくなっただけです。 砂糖は湯の中に溶け込んでいるように、自己は悟りの世界に溶け込んでいるのです。 身心脱落とはそういうことです。 だとすれば、道元が悟りを開いたといった表現はちょっとよくない。 道元は身心脱落して、悟りの世界に溶け込んだのです。 道元の悟りというものがそういうものだということを忘れないでください ・・・
只管打坐とは
 通常、我々は仏教の修行者は悟りを求めて修行していると思っている。 若き日の道元の疑問も 「われわれに仏性があるのに、なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないのか」 というところにあったのである。 だが、道元が達した結論からいえば、それは逆であった。 「悟り」 は求めて得られるものではなく、「悟り」 を求めている自己のほうを消滅させることで得られるのである。 身心脱落させるのである。 かくして 「悟りの世界に溶け込む」 それが他ならぬ 「悟り」 なのである。 ゆえに我々は、悟りを得るために修行するのではなく、「悟りの世界に溶け込み」 その悟りの世界の中で修行するのである。 悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのである。 「悟り」 の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できるのである。 それが道元の結論であった。
 そうであれば、坐禅というものは悟りを求める修行であってはならないのである。 そもそも我々が何のために仏教を学ぶかといえば、「仏らしく生きるため」 である。 その意味では、悟りを楽しみつつ人生を生きる。 それが仏教を学ぶ目的なのである。 坐禅が禅堂に坐ることだけをいうのであれば、道元はそんなものは必要ないと言うであろう。 道元にとっては 「行住坐臥(歩き・止まり・坐り・臥す)」 のすべてが坐禅でなければならないのである。 日常生活そのものが坐禅なのである。 食べるのも坐禅。 眠るのも坐禅。 いわば仏が食事をし、仏が眠るのが坐禅なのである。 そのことを道元は 「只管打坐」 と呼んだ。 「只管」 とは、宋代の口語で 「ひたすらに」 といった意味である。 ただひたすらに坐り抜く、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏なのである。 仏になるための修行ではなしに、仏が修行しているのである。 道元がたどり着いた結論はそのようなものであった。

2023.05.17


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