道元はかくなる疑問を比叡山の学僧たちにぶつけたが、誰も満足のいく答えを与えてくれなかった。
比叡山を下りて、諸方の寺々に師を求めて訪ね歩いたが、求める答えが得られなかった道元は、宋に渡ることにした。 貞応2年(1223)、道元24歳のときであった。
だが、宋においても師に出会えなかった道元は諦めかけて日本に帰ろうとしたそのとき、天童山に新たに如浄禅師が入住されたことを聞き、天童山を再訪する。
道元は、中国に来て最初に天童山を訪れてはいたが良師には巡り合えなかったのである。 如浄禅師に会った道元は、この人こそ、自分が求めていた師であると直感、如浄の下で参禅、豁然と大悟したのである。
それは、中国の元号、宝慶元年(1225)、道元26歳のときであった。 大悟のきっかけは、大勢の僧が早暁坐禅をしているとき、1人の雲水が居眠りをしていたのを如浄が
「参禅はすべからく身心脱落なるべし」 と叱声を発して警策を加えたのである。 その瞬間、 道元は悟りを得たのだという。 ともあれ、道元が悟りを開いたきっかけは、そのとき聞いた
「身心脱落」 という言葉であった。 その後、この言葉は道元思想の 「キーワード」 となる。 それは、この言葉さえ分かれば、道元の思想が理解できるということにあった。
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