井伏の 「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」 の訳に対し、寺山は 「さよならだけが人生ならば
また来る春はなんだろう」 というアンチテーゼを掲げた。 そのテーゼは井伏の 「さよならだけが人生だ」 という別離の断言に、寺山自身が深く魅了されたがゆえになされたものである。
そこには幼くして父を亡くし、母とも生き別れ、親戚にあずけられた寺山が背負わざるをえなかった絶望的な哀しみとその中で培われた反骨精神が秘められている。
たしかに人生に別離はつきものだ。 だが別離の 「まえ」 に存在していたものの 「すべての意味」 が失われてしまったわけではない。
それではあまりに悲しすぎて生きていくことができない。 ゆえに寺山は 「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません」 と叫ばずにはいられなかったのであろう。
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