未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
存在の輝き
人は惜しまれながら逝くことがあるいは幸せなことなのかもしれない。 なぜなら命の期限を切られたとき人は 「
存在の時めき
」 を自覚し、もって 「存在の輝き」 を発するからに他ならない。
ひるがえって現代社会を眺めてみれば 「存在の輝き」 を発している人はどれくらいいるのであろうか? しかして、その存在の輝きはいかにしたら与えられるのか? 学校に行けば与えられるのか? それとも、街に行けば与えられるのか? いや、荒野に彷徨すれば与えられるものなのか? そもそも、存在の輝きは 「与えられる」 ものなのか?
束縛から開放された自由が巷に横溢する現代社会では誰も 「こうですよ」 などと断言してはくれない。 自由な世界ではそれは 「そうでもあり」 また 「こうでもある」 のが必然であって、存在の輝きそのものを 「自ら創りだす」 以外に他に道がないのである。 自由の裁量が個々人に委ねられた現代社会であってみればそれは当然の帰結である。
畢竟如何。 存在の輝きは自らの創造力(あるいは想像力)からしか生まれない。 嘆くべきは自らの創造力の衰弱と枯渇であって、その他の 「何もの」 でもないのである。
2020.01.22
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