そこに椅子が存在するとはその存在が持続的に存在することを意味している。
その椅子は突然そこに出現したわけではなくしばらく前からそこに存在し続けている。 しばらく前とは過去を意味しているのであるからその椅子の存在の意味には
「過去の意味」 も含まれていることになる。 またその椅子はこの先もしばらくは存在し続けるであろうし突然消失するわけでもない。
しばらく先とは未来を意味しているのであるからその椅子の存在の意味にはまた 「未来の意味」 も含まれていることになる。 説明するまでもないが今ここにその椅子が存在することからしてその存在には
「現在の意味」 も含まれているのは当然である。 かくこのように存在には過去・現在・未来という時間の3態様が意味的に含まれている。
一挙に還元すれば存在とは既に時間であり、時間は既に存在に含まれている。 存在に含まれている意味をとり出すことを哲学者、大森荘蔵はその著書
「時間と存在」 の中で 「存在の時めき」 と呼んだ。 大森はさらにこの 「存在の時めき」 は道元が 「正法眼蔵」 で「 有時」
と呼んだものに他ならないとも述べている。
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