未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
意識場と物質場で構成された曼荼羅世界
この世界がいかなるものかの解答は言葉よりは画像によって与えられるであろう。 それは1枚の画像が内蔵する情報量が百万言の言葉に勝るからに他ならない。 画像とは図形であり、絵画であり、映像であり ・・ 姿形をもった形象である。 その意味を一気に還元すれば時間と空間を取り込んだ 「場面」 という普遍的概念に帰着する。 我々の記憶の多くが論理的言語よりも映像的場面によって構成されていることを考えればその意味は素直に了解されよう。
さらにその場面は意識場に投影された 「意識的場面」 と物質場に投影された 「物質的場面」 という 「2つの場面」 で構成されていることに思考展開される。 かって私は意識的場面を 「直観的場面」 と名付け、物質的場面を 「歴史的場面」 と名付けて各々の場面がいかに構築されるかを探求している。 (詳細は
直観的場面構築
と
歴史的場面構築
を参照)
2つの場面は対を成す 「Pairpole」 であって互いに 「相対的」 であり 「相補的」 である。 それは1枚の紙の表裏のような関係であって 「切り離す」 ことができない。 換言すれば、それは 「意識と物質」 の相関関係であり、「想像と現実」 の相関関係であり、「心理と物理」 の相関関係である。
弘法大師、空海が目指した 「想像と現実の統合(即身)」 とは、まさにかくなる 「2つの場面がひとつの場面に昇華する状態」 を意味しているのではあるまいか ?
そうであれば、自らが生きている物質世界とは自らの意識世界が投影した 「物質場」 であるとともに、自らが生きている意識世界とは自らの物質世界が投影した 「意識場」 ということになる。 物質場とは 「現実としての場面」 が展開される世界であり、意識場とは 「想像としての場面」 が展開される世界である。
畢竟如何。 自らが生きているこの世界とは、意識場と物質場という 「2つの場面」 がめくるめく交錯するとともに、互いにリフレクトする 「曼荼羅世界」 ということになる。
※)曼荼羅世界とは
曼荼羅とは仏教(密教)の中で考えられている世界を図柄で表したものであり、代表的なものには大日経を示した 「胎蔵界曼荼羅」 と金剛頂経を示した 「金剛界曼荼羅」 がある。 この2つはどちらも大日如来を中心とした図柄で 2つで一対 とされ 「両界曼荼羅」 と呼ばれる。 私は自ら構築した 「Pairpole 宇宙モデル」 の基本コンセプトである宇宙内蔵秩序としての 「対称性」 を両界曼荼羅からイメージした 「
宇宙のベーシックデザイン
」 として意匠化している。
2019.09.02
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