Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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愛と悲しみの標号
 皇后美智子さまは84歳の誕生日にあたり、宮内記者会の質問に文書で回答した。 例年ではその1年の出来事を振り返る内容であったが、皇后として最後となる今回は、皇太子妃、皇后として歩んできた自身の60年近い歴史を振り返るものとなった。
 24歳の結婚当時の心境を 「大きな不安」 と表現する一方で、天皇陛下の 「お立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれた」 と綴られた。 陛下は当時 「義務は最優先であり 私事はそれに次ぐもの」 と語っていたという。 皇后さま自身も 「経験するだけでは足りない 経験したことに思いをめぐらすように」 という学生時代の学長の言葉を自分に言い聞かせながら日々を過ごされてきたという。
 義務を最優先とし私事を後まわしにする陛下を支えながら、自ら経験したことに深く思いをめぐらしてきた皇后の姿を思い浮かべているうち、なぜか奈良中宮寺の弥勒菩薩像に対面した古き日のことが甦ってきた。 弥勒菩薩像としては京都広隆寺と奈良中宮寺の弥勒菩薩像が有名である。 奈良中宮寺の弥勒菩薩像は漆黒の優美な像で飛鳥時代の作であるといわれる。
 以下は私著、小説 「暁光」 の中で描かれた奈良中宮寺の弥勒菩薩像からの抜粋である。
 奈良中宮寺の弥勒菩薩像について哲学者、和辻哲郎はその著 「古寺巡礼」 の中で以下のように書いている。
 ・・・ 少々うつむきかげんに腰をおろし、右足を左足の上にのせ、左手はその右足をおさえるように置かれ、右手はほほにふれるか、ふれないように添えられている。 そして、なにより美しいのは、その 「思惟」 の表情であった。 目は軽くとじられ、口もとに何とも言えぬほほえみを浮かべている。 それは静かな、そして深く考え込むというよりは、瞑想にひたっているようである。 口もとに浮かべたほほえみはアルカイック・スマイル(古典的微笑)などと言われ ・・・ およそ愛の表現として、この像は世界の芸術の中に比類のない独特なものではないか。 これよりも力強いもの、威厳あるもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現すもの、情熱を現すもの、それは世界に希でもあるまい。 しかし、この純粋な愛と悲しみとの標号は、その曇りのない専念のゆえに、その徹底した柔らかさのゆえに、おそらく唯一の味を持つ ・・・ 古くは古事記の歌から、新しくは情死の文学まで、ものの哀れと、しめやかな愛憎を核心とする日本人の芸術は、すでにここにその最もすぐれた、最も明らかな代表者をもっているのである。 あの悲しく貴い半跏の観音像は、かくみれば、われわれの文化の出発点である ・・・・
 尼寺としての静かなたたずまいをもつ境内を歩き、この思惟の像と最初に対面したのは、私がまだ22歳の若年であった頃、晩秋の柔らかい陽射しがふりそそぐ、とある日の昼下がりであった。 だが遥かな歳月が経過した今もその日のことが鮮明に思い出されるのである。
 そして今日。 再びその思惟の尊顔にめぐり逢ったかのような錯覚を覚えたのである。

2018.10.20


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