華厳から密教に出た空海はその場面構築を最も得意とした人である。 「綜芸種智院」 は829年に空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的として京都の左京九条に設立した私立学校であるが、今もなお
「種智院大学」 としてその源泉は受け継がれている。 綜芸とは各種の学芸を綜合するという意味である。 空海はその学芸の 「総合プロデューサ」
のような人でもあった。 その思想は図形的マンダラにとどまらず、京都東寺講堂の仏像配置を編集(アレンジ)した 「立体的マンダラ」
に、また高野山金剛峯寺創建における山と寺院の配置を編集した 「空間的マンダラ」 にその才をいかんなく発揮している。
|