未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
空海が悟ったもの〜即身への道
第1212回
「意識跳躍」 を書いていて、想像と現実が融合した状態こそが、空海が言う 「即身」 の実体であるように想えてきた。
例えて言えば、ある歌をある歌手が歌ったとき、その歌とその歌手が 「境目なくぴったりと融合している状態」 のようなものである。 そこには歌を超え、歌手を超えた 「何もの」 かが実現している。 おそらくそれはすべてのことに瞬く間に遡及する。 作品と作家が境目なくぴったりと融合したときに芸術は 「何もの」 かに昇華するのであって、作品のみをもって、あるいは作家のみをもっては 「何もの」 かは生まれない。
即身を宗教まで高めたものが 「即身成仏」 である。 即身成仏とはそのままの生活をしながらであっても 「仏になる」 ことが、普通の社会生活を送りながらであっても 「菩薩の域に達する」 ことが可能であるとする。
畢竟。 想像と現実を区分けしてあれこれ考えたり、為したりしている状態では即身はほど遠いということであろう。 真言密教から悟り(即身)に至る道は、認識を超越した意識跳躍を必要とするが、その神髄を会得することは空海の全生涯を体験するほどの困難さをともなう。 その神髄が言葉や認識でないところが難しいのである。 限りなく認識を追求した学僧、伝教大師最澄にして、その域に達することがかなわなかった訳とは実にそこにあった。
空海の天才。 最澄の秀才。 互いの道を分けたものはその才能の違いである。
2018.06.03
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