Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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時は流れず(5)〜過去と未来の発生現場
 「時は流れず」については過去何回かに渡って思考してきた。その経過は第438回「反骨の哲学者」、第667回「相対性理論が意味するもの」、第953回「運動を時間で分解することはできない」、第967回「流れているものとは」等々で書いている。
 「時は流れず」とは過去と現在と未来が時間で連続していないことである。過去と未来は意識世界の存在であって、運動をともなった実在(リアル)として存在する現在とは本質的に異なる。それは意識の根源である記憶が消失すれば過去も未来もたちどころに消失してしまうが、記憶が消失したとしても現在は実在として存在することを考えれば素直に了解されよう。 そのような異質な世界の間を貫いて同質的な時間が連続して流れているとは相当の妥当性をもって考えることができない。
 しかしながら、意識世界の存在であっても、過去と未来の発生現場は、今の今である実在としての現在であることには違いはない。
 昨年は過去、来年は未来、今の今である今年は現在である。 昨日は過去、明日は未来、今の今である今日は現在である。 さきほどは過去、のちほどは未来、今の今であるただいまは現在である。 これらの過去と未来の違いは発生の起点である今の今から意識がたどった記憶の鮮度にかかわっている。 さきほど、のちほど、で指定される過去と未来は、できたての過去と未来である。 昨日、明日、で指定される過去と未来は、幾分か鮮度が低下した過去と未来である。 昨年、来年、で指定される過去と未来ともなれば、賞味期限すれすれの過去と未来である。 また記憶の鮮度は人によって異なるため、すぐに鮮度が劣化してしまう記憶能力の人にとっては1日が、1月に、1年に値する。
 映画「カサブランカ」でハンフリー・ボガートは「昨日? そんな昔の事は忘れた 明日? そんな先の事は分らない」という名台詞をのこしている。もっともこれは本当に忘れてしまったわけではなく、酒場の女に口説かれたボガートがさらりと粋にかわす場面で使われたものである。だがもし本当に忘れてしまったとしたら、過去や未来はあっというまに遠ざかっていく。 俗に世で言う「時の流れ」とは、この記憶の鮮度に付随した流れである。 この流れが過去と現在と未来が連続するとする認識の根拠を生成しているのである。
 Pairpole宇宙モデル では連続する過去と現在と未来で構成された宇宙を「連続宇宙」と呼び、今の今である断裂した現在で構成された宇宙を「刹那宇宙」と呼んで、2つに区分けしている。そこでの時間は、それぞれの宇宙を語るパラメータ(変数)の役割を成すとともに、実質的には光速度で移動する意識波としてとらえている。

2017.03.15


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