未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
石原裕次郎の風景〜北の旅人
石原裕次郎の生涯については本やテレビで幾度も取り上げられてその全容は衆知のごとくであってここで述べるまでもない。信州つれづれ紀行「地上の星とは(
第025回
)」では黒部ダムを訪れた私が回想した石原裕次郎の風景を描いている。
映画「黒部の太陽」は1962年に日活から独立した裕次郎が五社協定の枠に苦しめられながらも三船敏郎をはじめとする仲間の支援を受け撮影に1年以上を費やし1968年に公開された日本映画史にのこる大作である。裕次郎にとってそれは人生を賭けた挑戦でもあった。
裕次郎の最後の曲が「わが人生に悔いなし」と思っていた私はそれが「北の旅人」であったと知って意外な思いにかられた。亡くなるはるか前から唄っていたように感じていたからである。「北の旅人」は裕次郎が最後にレコーディングして1987年7月17日に亡くなった後で追悼盤として同年8月10日にシングルで発売されたものであるという。裕次郎の楽曲の中で唯一音楽チャート1位を獲得している。
私は演歌「北の旅人」は映画「黒部の太陽」と表裏を成す「裕次郎の風景」ではないかと思っている。
裕次郎がたどった波瀾万丈の人生がたどり着いた最後の風景こそ北の旅人がながめた尽きせぬ「慕情の風景」そのものではなかったか? 裕次郎は3歳から9歳までの幼少期を小樽で過ごしている。多感な少年はその北の大地をいかなる眼差しで眺めていたであろうか。
「北の旅人」に描かれた釧路、函館、小樽にとどまらず、札幌、苫小牧、夕張、帯広、富良野、美瑛、旭川、士別、留萌、根室、羅臼、北見、網走、紋別、名寄、稚内 ・・ 洞爺湖、支笏湖、阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、サロマ湖 ・・ 羊蹄山、有珠山、十勝岳、大雪山 ・・ 北見山地、天塩山地、石狩山地、夕張山地、日高山脈 ・・ 近代化されたといえ「北の大地」はいまだ日本にのこされた唯一の「大自然」であるとともに、最後の「まほろば」ではあるまいか。
あるいは裕次郎はこの世の名残にその「北のまほろば」をひとり、旅したかったのかもしれない。
以下は蛇足であるが、1991年小樽に開館した「石原裕次郎記念館」は寒冷地における風雪や塩害による建物劣化等で運営維持が困難となり2017年8月末をもって閉館の予定という。遥かな北の旅人もまほろばの中に回帰する刻がようやくにしてやって来たということであろうか。
「北の旅人」 作詞 山口洋子 作曲 弦哲也
たどりついたら 岬のはずれ
赤い灯が点く ぽつりとひとつ
いまでもあなたを 待ってると
いとしい おまえの 呼ぶ声が
俺の背中で 潮風になる
夜の釧路は 雨になるだろう
ふるい酒場で 噂をきいた
窓のむこうは 木枯まじり
半年まえまで 居たという
泣きぐせ 酒ぐせ 泪ぐせ
どこへ去(い)ったか 細い影
夜の函館 霧がつらすぎる
空でちぎれる あの汽笛さえ
泣いて別れる さい果て港
いちどはこの手に 抱きしめて
泣かせてやりたい 思いきり
消えぬ面影 たずねびと
夜の小樽は 雪が肩に舞う
「北の旅人」は1985年、弦哲也が北海道を旅行している際に作曲され、唄いだしのフレーズは弦哲也によるもので、山口洋子によって残りの歌詞が書かれたという。
2017.02.13
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