Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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新たな地平を求めて(5)〜主体は世界に属さない
 オーストリアの哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889〜1951年)は「主体は世界に属さない それは世界の限界である」という独我論を提唱した。
 この世界の限界とはどこにあり、世界の限界とはいったい何を意味するのか?
 「私の見る世界の視野に 私自身の眼は含まれない 私の眼はながめる世界の視野の限界に位置している」というときの限界とは世界を眺めている私自身の「眼」である。
 この限界(境界)の両側には、いったい「何が」あるのか? この限界(境界)の向こう側に広がる世界は、物質を主役とする現象世界であり、限界のこちら側に広がる世界は、意識を主役とする心象世界である。 その境界面(限界面)に私自身の「眼」が位置している。
 現象学を創始したオーストリアの哲学者、フッサールは、我々が見る現象世界は、我々の意識が編集した心象世界であるとしたことは「新たな地平を求めて(4)〜意識の地平」で述べた。 それをもとに私は、新たな地平は現象世界と心象世界が交錯する「狭間」に拓かれているとした。 その狭間に位置するものとは、ウィトゲンシュタインが言う「世界視野の限界である私の眼」のことに他ならない。
 「現象と心象の境界(第373回)」では、その「狭間」と「限界」について述べている。 論考は終段に至り 意識が物質を発生させるのか ・・? それとも物質が意識を発生させるのか ・・? という根本的な問いに帰着している。 還元すれば 意識に物質が宿るのか ・・? それとも物質に意識が宿るのか ・・? という根源的な命題である。
 したがって、探すべき新たな地平は、かかる根本的な問いと根源的な命題を突破したところに拓かれるはずであるが、いまだにその僥倖に出逢えてはいない。時空の旅は遥かなりの感慨ひとしおである。
新たな地平を求めて(6)〜余話として / 第965回

2016.09.14


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