Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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新たな地平を求めて(4)〜意識の地平
 「物質の地平」と「意識の地平」は相対するペアポールである。
 新たな地平はその2つの地平が交錯する狭間に拓かれている。物質の地平とは自身の周りに広がる「外なる宇宙」であり、意識の地平は自身の中に広がる「内なる宇宙」である。
 現象学を創始したオーストリアの哲学者、エトムント・フッサール(1859〜1938年)は、我々が見る現象世界(物質の地平、外なる宇宙)は、我々の意識が編集した心象世界(意識の地平、内なる宇宙)であるとした。 (意識の地平 第287回 参照)
 現代人の編集基準である「科学的認識」は「最大」にして「最強」の編集ツールである。現代人が眺める意識の地平はこの編集ツールを使って編集された地平である。 他方、古代人が眺めた意識の地平とは神や霊にもとづく認識で編集された地平であった。山には神聖が住み、森には精霊が住む世界である。 科学的編集基準はそれを一変させてしまった。 現代人が眺める山は標高000mの山であり、森は面積000haの森という数値データで構築された世界である。
 我々現代人はどこかで大きな間違いを犯してしまったのかもしれない。なぜなら、我々は新たな地平を求めているのであって、新たな科学データを求めているのではない。 科学データは新たな地平を拓く手段であって目的ではない。 現代人はあまりに万能な科学的編集ツールに酔いしれているうちに目的と手段の本末を転倒させ迷路に陥ってしまったのではあるまいか?
 したがって、探すべき新たな地平は、地平のもととなる意識の編集基準を再構築することである。そのためには、科学的認識はあくまでも目的ではなく、新たな地平を拓くための手段であることを胆に銘じて忘れてはならない。 さすれば目から鱗が落ちるがごとくに新たな地平が観えてくるに違いない。
新たな地平を求めて(5)〜主体は世界に属さない / 第964回

2016.09.13


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