とある日、と言っても20年ほども前の話である。 私は軽井沢にある「セゾン現代美術館」を訪れた。軽井沢特有の深閑とした森の中にたたずむ瀟洒な美術館である。その際、通路に置かれた「ある彫刻像」に興味をひかれた。それは白い等身大の石膏像、4体で構成され、街中の舗道で織りなされた「ワンカット」を切り取ったかのような作品であった。前面に立つ2人の男は何やらひそひそと話をしているようであり、後ろのベンチに座った女2人はそれには無関心を装って会話に夢中といったような場面である。この彫刻像は「いったい何を語っている」のであろうか? 興味はそこであった。
それから2日ほどして、私は居住する松本市の市街に位置するとある書店で1冊の本を買った。哲学者、大森荘蔵の「時間と存在」である。帰宅して読み出したところで、私は唖然としてしまった。その第2章、幾何学と運動、第3項、空間と幾何学に、その彫刻像について記述されているではないか。その作品の作者は、アメリカのジョージ・シーガルであり、作品名は、ゲイ・リベレーションであった。
意図なくふらりと訪れた軽井沢の美術館で興味にひかれて眺めた作品が、直後に、これまた意図なく訪れた松本市の書店でふと手にした哲学書の中に顕れる確率とはいったいいかなるものか? 数学的に計算すれば、ほとんどありえない程に希少な確率であろう。例えて言えば「ゴビ砂漠の中から1本の針を見いだす」ようなものであろう。
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