Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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ほしい人たちはどこに
 先日、現代社会を明解に捉えたコラムに出逢った。筆者は糸井重里氏で以下はその全文である。
 「どうやってつくるか」とか、「どういうものをつくるか」は、とても大事なことであることは確かです。でも、それは、それを「ほしいと思う人たち」がいて、はじめてつくれるようになります。芸術表現だとか、趣味のなにやらについては、そのかぎりではありませんが、仕事として続けていくためには、「ほしい人たち」が必ず必要になります。「ほしい人たち」は一般的には「市場」と呼ばれます。
 仕事を生み出そうとしている人たちの話を聞いてると、近くに豊富にある材料のことだとか、これまで以上に利益を大きくする方法のことだとか、つくるものを魅力的に見せるやり方だとか、「つくる」側の工夫について考えていることが多いです。農業や漁業などの第一次産業をやっていた人たちが、その素材を加工することによって付加価値を上げ、さらにそれを自前の方法で販売していく‥‥という「第一次産業+第二次産業+第三次産業」の六次産業化という話が聞こえてきたりするのですが、そういう算数みたいな「あいことば」で、ほんとにうまくいくんだろうかと考えています。
 ほんとうに、いちばん考えなければならないのは、「ほしい人たち=市場」のことなのですが、そのことが最も切実で重要な問題だということが、あんまり考えられているようには思えないのです。「産地のいい素材を、うまく加工して、全国のお客さまにインターネットでお届けする」と、言うのは簡単ですし、やることもできますが、その「お客様=ほしい人たち=市場」は、どこにいて、どうやって会うのでしょうか。「メディアが取りあげてくれたらこっちのもの」だ、なんてところの先に「市場」があるのでしょうか。
 ぼくは、よくじぶんに言いきかせています。「いま(現在)は、在庫の時代だ」と。貨幣にとっても、商品にとっても、思いにとってもね。
 現実を直視した慧眼と直言に満ちた佳文である。提言は末尾に添えられた「人間の活力は、ほとんどむだな改良によって失われている」とする断言に至って光彩を放っている。
 政府は今「地方創生」と銘打って地方社会の活性化に躍起になっている。糸井氏の提言は充分に参考にすべき妙薬である。だがその背後には現代資本主義社会が抱える難問がひかえていることも忘れてはならない。その様相は「資本主義の終焉(第815回)」に詳しい。

2015.03.19


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