Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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アベノミクス(2)
 安倍政権が発足した当時、私は第709回「アベノミクス」で以下のように書いている。2013年1月18日のことである。
 自民党、安倍新政権が掲げる「アベノミクス」と呼ばれる経済政策の目玉はインフレターゲットを設定した積極的な金融緩和と国土強靱化計画と銘打った公共事業投資の拡大である。両政策とも日銀が所有する輪転機を高速回転させて円を大量に増刷することに特徴がある。景気は気からと言われるから、これらの政策が日本人の気分を転換させ景気回復に至ることも否定できないが、メカニズムの観点で眺めると少々不安が漂う。
 それはこの経済政策が「永久機関メカニズム」に相似しているからである。ご存じのごとく、永久機関は物理学の「エネルギ保存則」から不可能であることが証明されている。それでもなお1年間に何件かは永久機関の特許申請がなされるほどの、技術者を魅了してやまない夢のエンジンメカニズムである。この日本の新たな試みが「大いなる徒労」におわるのか、はたまた未来に向けての「偉大な試金石」になるのか、世界は今、息をこらして見守っている。
 試みの終局において、物理学の理論が経済学には適用できないことが証明されればいいのだが・・ただそれを願うのみである。
 新たな試みが「大いなる徒労」になるのか、「偉大な試金石」になるのか、いまだ判然としない。その中で安倍首相は衆議院解散を決断した。消費動向等の経済指標があまりに悪く消費増税が予定通り実施できないからであるという。解散に大義があるのかないのか私にはわからないが、さまざまな経済指標を公平にながめてみても、アベノミクスには陰りが出ているように思われる。やはり物理学も経済学も根本とするところは同じなのか・・?
 前回論じたごとく永久機関が実現できない理由は物理学の根源的法則である「エネルギ保存則」にある。この法則をかみ砕いていえば「A地点からB地点へ移動するために要するエネルギはいかなるルートをとっても同じである」というものである。例えばA地点から山の向こう側のB地点に行こうとした場合、山の頂を越えて行こうが山の麓を回って行こうが要するエネルギは同じである。これを経済学的な言い方に還元すれば「A時点からB時点に移行するために要するエネルギはいかなる政策をとっても同じである」と変換される。さらに分かり易く簡潔に表現すれば「いかなる政策も、あれが良ければこれが悪く、これが悪ければあれが良い」ということであって、「あれもこれも良いという政策はない」ということである。
 確かにアベノミクスは一部の大企業や投資家の収益をめざましく向上させた。聞くところでは上位10社の大企業収益がアベノミクス効果であがった収益全体の80%程度を占めるという数字さえある。だがその反面で、全体の70%以上を占める中小零細企業労働者や株式投資とは無縁な庶民には多くマイナスの収益をもたらしている。日本全体を「足し算すれば0となる」からいいではないかとするのは、はなはだ乱暴な話である。社会は花も実もあるひとりひとりの人間で成り立っているのであって、数字で成り立っているわけではない。「一将功成りて万骨枯る」ではとうてい済まされないのである。
 以下は蛇足であるが、エネルギ保存則では「A地点から山の向こう側のB地点に行こうとした場合、山の頂を越えて行こうが山の麓を回って行こうが要するエネルギは同じである」というのだが、「気分は異なる」であろう。山頂からの雄大なパノラマを眺めながら行く場合と、山麓に咲く花々を愉しみながら行く場合ではそれぞれ気分は異なる。「景気は気から」とは前回も論じたことであるが、あるいはこの気分が経済学では重要なファクターなのかもしれない。だが気分がエネルギかと問われると答えに窮する。もしエネルギではないとすれば、やはり経済学は科学の範疇をはずれるものなのかもしれない。であれば、気分こそがアベノミクス成功に向けた希望の根幹を成していることになる。
「アベノミクス(3)」(第915回

2014.11.25


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