Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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宇宙の理をまとう者

 情報化社会が全体性の価値観を創出することは「一輪の花(第801回)」で述べた。だがそれ以上に全体性の価値観を支えているものとは「多数決の論理」である。民主主義社会の物事はこの論理によって可否が決する。だが注目すべきは多数決とは「人間の意思」を表したものであって、「宇宙の理」を表したものではないことである。しかして人間の意思とは多く間違うものであり、また多く自己保存の欲求に従うものである。依って多数決の論理は物事の正義や真偽を表したものではない。

 以下構図を単純化して述べれば、この世における事の成否は「人間の欲」と「宇宙の理」の対決構造に還元される。 この闘いの勝者はいったいどちらなのか・・? 現代人の多くは人間の欲に軍配をあげるであろうか・・? だが人間であるから欲に従うのは当然とする生き方に、いったい誰が畏敬の念を抱くのであろうか・・? それらは人間の範囲内のものである。

 人は人間の範囲を超えたものに魅了されるのである。おそらくニーチェが目指した「超人」とはその人間の範囲を超えた者のことであろう。言うなれば「身に宇宙の理をまとった者」のことである。欲にからまれた多くの現代人は「社会の処世術」を身にまとうに忙しいが、今、まとわなければならないのは「宇宙の理」なのである。

 社会の処世術をもって宇宙の理に挑んでみてもその勝敗は論ずるまでもなく自ずと明らかであろう。

                  「一将功成りて万骨枯る(第803回)」へ続く

2014.05.07


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