かって世界は「可能性」に満ちていた。本を読み、映画を見て、人々はやればできると思っていたし、また多くはやればできた。だが現代は、その可能性が減少し、なかなか見あたらなくなってしまった。本を読んでみても、映画を見ても、人々はやろうとは思わないし、また多くはやってもできない。いうなれば人間としての可能性が低下しているのである。
その原因は、人間がやる前に機械がやってしまうのであり、人間が考える前にコンピュータが考えてしまうからである。これでは「何もしなくてもいい」と宣告された囚人のごとくであり、つまらないことこのうえない。回帰への道は、ささやかであっても「自らやってみる」ことであり、たどたどしくも「自ら考えてみる」ことである。