藤圭子の風景〜時代を背負った歌手 |
本人が自覚していようがいまいがあるひとつの個性が時代を背負うということがある。藤圭子はそんな歌手であった。
当時、人気作家であった五木寛之は「ゴキブリの歌」と題されたエッセイ集の中で、彼女の唄は艶歌でも援歌でもなく、それは「怨歌」だと言い、「歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」と続け、「口先だけの援歌よりこの怨歌の息苦しさが好きなのだ」と結んでいる。
私は「学校遠望(第618回)」の中で高校生であった当時の世相を以下のように書いた。
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世相は学生運動の混乱期であったが、狂騒は地方まではとどかず、2階の隣同士の部屋であった私達は、階下の両親が寝静まった頃を見計らっては、夜毎そろそろと家を抜け出し、深夜の松本の街を徘徊、時には焼肉屋で、時には喫茶店で、あれこれとくだらないことを、とりとめもなく話していた。時勢の標語は「青年は荒野をめざせ」であり、巷には藤圭子の歌う「新宿の女」が流れていたことを記憶している。それから40年の歳月が流れたことになる。
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藤圭子を「時代の徒花(あだばな)」と言う人もいる。だが徒花であろうがなかろうが彼女が日本の一時代を背負ったことはまぎれもない事実である。そのことを私は忘れない。 |
2013.08.23 |
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