学校をおえて 歩いてきた十幾年
首(こうべ)をめぐらせば学校は思い出のはるかに
小さくメダルの浮き彫りのようにかがやいている
そこに教室の棟々(むねむね)がかわらをつらねている
先生はなにごとかを話しておられ
若い顔たちがいちようにそれにきき入っている
とある窓べでだれかがよそ見して
あのときのぼくのようにぼんやりこちらをながめている
彼のひとみに ぼくのいるところは映らないのだろうか?
ああ ぼくからはこんなにはっきり見えるのに
丸山薫 「学校遠望」
私が高校1年生の頃、我が家に下宿していた信州大学文学部の学生であったSさんから教えてもらった詩句である。感じるところがあり、以後、今に至るまで忘れずに脳裏にある。
当時、Sさんは京大に2浪した後、都落ちの気分にて松本に至り、信大に席をおいていた。私が16歳であったから、Sさんは20歳を越えていたにちがいない。
世相は学生運動の混乱期であったが、狂騒は地方まではとどかず、2階の隣同士の部屋であった私達は、階下の両親が寝静まった頃を見計らっては、夜毎そろそろと家を抜け出し、深夜の松本の街を徘徊、時には焼肉屋で、時には喫茶店で、あれこれとくだらないことを、とりとめもなく話していた。時勢の標語は「青年は荒野をめざせ」であり、巷には藤圭子(宇多田ヒカルの母)の歌う「新宿の女」が流れていたことを記憶している。
それから40年の歳月が流れたことになる。
その後、高校を卒業した私は青雲の志を抱きて大阪に向かい、Sさんは群馬県で高校の教師になったのだが・・・年齢からすれば、もう定年退職しているであろうか・・・?
注) かって主題の詩と同じ思いにかられたことがある。
穂高東中学校講演録
『(1)序』 参照
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