Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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予定調和の構造
 我々が別々な相対的宇宙に存在するとして、日々出逢う現実としての出来事とは何を意味するのであろう。
 車で道路上を走行している状態を考える。私の運転する車から眺望される風景は私の相対的な宇宙風景であり、私の前を走行する人の車から眺望される風景はその人の相対的な宇宙風景である。
 だが前の人が急ブレーキを踏んだ時、車間距離をとっていなかった私の車は前の車に衝突する。この現象は一般に「交通事故」と言われるのであるが、換言すれば、別々の相対的宇宙が衝突し、物質的宇宙に物的変化(つまり、車輌の破損)が発生した状況と述べられる。この現象を避けるには、私が前の人が運転する車との間に、充分な車間距離を保てば良い。自動車学校の教則本ではそのように教えている。
 しかし、この事故を避ける方法はこれだけではない。それは私が前の人の運転状態をあらかじめ「予測」することである。詳細に言えば、そこで急ブレーキを踏むであろうと予測するのである。事前に予測されれば、私もその予測に基づき、事前にブレーキを踏み、衝突事故は発生しない。
 この状況をさらに検討すれば、前の人の運転状況を予測するとは、「前の人の意識状況を予知する」ことに行き着く。この意識状況の予知とは、私の意識が、私ではない他者の意識を理解することであり、さらに言えば、私の個別相対的宇宙が他者の個別相対的宇宙を理解することである。
 これを可能にするのが、前述した「予定調和」の存在である。
 つまり、私の個別意識が他者の個別意識と協調するという予定された調和機能である。かみ砕けば、「私の抱いた意識と他者が抱いた意識とは同じである」という暗黙の了解の成立である。この暗黙の了解自体が、唯一絶対のひとつの絶対的宇宙に我々が存在すると感じてしまう根拠でもある。
 だが私の個別意識が他者の個別意識のすべてを予知できるかというとそうではない。その予知には、人により優劣がある。「あの人は、人を見る目がある」とはこの予知能力に優れることを意味し、「あの人は、人を見る目がない」とはこの能力が劣ることを意味する。
 中国、三国志の名宰相、諸葛亮孔明、日本の戦国時代に活躍した武田信玄の軍師、山本勘助、豊臣秀吉の軍師、竹中半兵衛、黒田官兵衛など、「眼光紙背に通ず」と言われるような予知能力に関する異才を放つ人たちもいる。彼らは敵軍の考え(個別意識)をことごとく看破し、その裏をかき自軍に勝利をもたらすのである。
 前出の関西学院大学、社会学部教授、宮原浩二郎氏と先日大阪で逢った時、彼が最近書いたエッセイ「故意と過失」についての話になった。彼は東京大学法学部から大蔵省を経て、社会学教授になった俊才であり、その観察眼にはいつも敬服するものがある。
 そのエッセイの内容は ・・ 現在の法律では、故意による殺人と過失による殺人とで「量刑に大きな差異」があり、一般的には過失致死は刑が軽く、故意による殺人は刑が重い。だが殺された側に立って考える時、その量刑は逆ではないかと彼は言うのである。殺された側に殺される(恨まれる)原因があり、その恨みを抱いた人が用意周到に準備して殺されるのであれば「まだ殺される側には死の意味が見出せる」が、過失致死のように、「ついうっかり」と殺してしまいましたでは「殺される側には死の意味さえ見出せない」というのである。現行の法律は「この視点」を欠落させてしまっており、この観点からの量刑再考を要するというのが概意である ・・。 確かに慧眼である。
 私はその時、「別の視点」について述べた。それは人間意識の善悪に関してである。「人間は善の意識価値とともに、悪の意識価値をも同時にもっている」ということである。なぜなら、我々は日頃、映画やテレビドラマを観るが、その映画やドラマの中で展開される世界とは、戦争、大量殺人、強姦、泥棒、不倫、裏切り ・・ 等々、およそ現代社会では法律的に禁止されている「悪と呼ばれる所業」のオンパレードである。おそらく、そのような映画、ドラマを警察官、検察官、弁護士、裁判官 ・・ 等々も見ることであろう。この状況を鑑みれば、人間は善と同時に、悪という意識価値をも、暗黙の下に認めていることを物語っている。 この状況はいったい「何を意味」するのか ・・?
 おそらくは個別の相対的宇宙どうしを関係づける「予定調和」の中には、「悪の調和」も含まれているのであり、この観点に立って、前述の「故意と過失」に対する量刑を考えれば、彼の意見にさらなる補強を与えるのではないかというのが私の概意である。つまり、この世を支配している予定調和からすれば、意識的故意の方が、少なくとも無意識的過失より、より上位の意識的価値をもつということである。
 前述した名軍師が敵方の個別意識を予知理解するとは、この善悪の意識がまた軍師自身の個別意識の中にあることを示している。名軍師とは、自分の個別意識中にあるこの善悪の意識を深く考察し、善悪が一体になった予定調和の筋書を読みとることに他ならないのである。つまり、「汝、自分自身を知る」ことこそが、名軍師への道なのである。
 これを究めれば、自ずと相対的宇宙の複合体であるこの宇宙(現実)に漂う積層された集合的個別意識の曼陀羅模様を自分の個別意識の目をもって眺望することが可能になるであろう。善の意識、悪の意識、裏切の意識、哀憐の意識 ・・ その他もろもろの意識が蠢き活動する様が手にとるように観察されることであろう。
 このような能力は多くの映画やドラマを鑑賞し、多くの小説などを読み、他者の個別意識の構造を、より多く知ることによっても向上するであろう。この方法は、「神の目」をもって幾つかの個別相対的宇宙が複合された絶対的宇宙を観察することであり、自分自身の個別意識を深く考察する方法とは立場を異にする。後者の方法は、私というひとつの個別相対的宇宙から絶対的宇宙を観察することである。また前者の方法は「科学的手法」で予定調和の構造を知ることであり、後者の方法は「哲学的手法」で予定調和の構造を知ることである。
 予定調和とはまた、宇宙のフラクタル構造法則の別断面でもあろう。宇宙フラクタル構造とは細部の構造と全体の構造が同じであり、その構造が入れ子状に無限の階層を成す宇宙構造である。この各々の階層の個別宇宙が予定調和で言う個別相対的宇宙にあたり、同構造の個別宇宙の入れ子法則が、そのまま予定調和に置き換えられる。
 結局、「宇宙のフラクタル構造法則」、「宇宙の予定調和」は、ともにこの宇宙に内在する「内蔵秩序」を述べているのである。
 私著「Pairpole(物質編)」では、「大きさが無く仕組みだけの宇宙」に行き着き、どうして宇宙がこのような構造なのかの問いに、「神のみぞ知る」と締めくくったが、ライプニッツもまた同様に、この予定調和の構造を、最後は「神」に帰着させている。
 ここでいう神とは、一般に言う「神」でも良いし、私の言う「宇宙の心」でも良いし、つまり、理解不可能な「何もの」かを指し示すものと考えれば良い。本稿の探求の旅は、この「何ものかに出逢う」ほんのわずかな僥倖を期待する遙かなる時空の旅なのである。
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