Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

新たな地平を求めて(6)〜余話として
 本項を書き進めていくうち、論考に登場した波動理論を構築した物理学者のシュレジンガー(1887〜1961年)、意識の地平を展開した哲学者のフッサール(1859〜1938年)、主体は世界に属さないと主唱した哲学者のウィトゲンシュタイン(1889〜1951年)がそろってオーストリア人であったことに気がついた。生きて活躍した年代もほぼ同じである。 さらにはあのアドルフ・ヒトラー(1889〜1945年)もまた同時代人としてそのオーストリアに生まれている。
 かく列挙しただけで、彼らが生きた時代の激動のバックグラウンドが彷彿と浮かんでくる。 そこにあったものとは、新たな地平への激しい渇望感であっただろうし、やむにやまれぬ使命感でもあったであろう。 生涯を賭けて貫いた光跡は時空を超えて今もなお褪せることなく輝いている。
 以下の記載は、科学哲学エッセイ「Pairpole」(平成11年2月28日初版第1刷発行)で掲載した「アロサの黒婦人」と題した波動理論開発の物語である。 上記の時代背景を念頭においてお読みいただければ幸いである。
「アロサの黒婦人」
 シュレジンガーの波動理論はダボスのスキーリゾートの近くの保養地アロサに愛人とともに滞在していたおよそ12ヶ月の間に書き上げられた。後の科学にあまりにも偉大で、かつ計り知れない影響を及ぼした創造的思考はこの奇跡の12ヶ月の間でなされた。シェイクスピアのソネットに謳われた黒婦人のようにアロサの婦人は今も謎のままである。
 物理学と化学で用いられるすべての方程式を説明するこの理論は画期的であり強力な知的思考ツールである。彼の方程式には「波動関数」と呼ばれるまったく新しい量が登場する。波動関数は物質の粒子性と波動性の両面の性質を考慮し、ふるまいのすべてを詳細に説明している。また彼はボールのような巨視的物体の場合はニュートン力学の各方程式へと書き直されるように組み立て日常世界でも使えるようにしたのである。
 その後、マックス・ボルンにより波動関数の2乗がある瞬間にある場所でその粒子を見つける確率を示していることがわかった。すべての系は波動関数により説明され、ある瞬間にある位置で(ある時空間で)あるものが見つかったとたんに、このすべての可能性を示していた波動関数が収縮し、その時空間はあるひとつのものに現実化する。この収縮は観測や測定という行為によってなされる。
 街の歓楽街には幾多の飲食店がひしめいている。私がそのどこかの店に入る前までの状態は波動関数により説明される。それはさまざまな可能性の数式である。それが、私がとある店のドアを開けたとたんに収縮しその可能性の中のひとつが現実化する。それは、私がその歓楽街の他のいかなる店にもいないことの確定であり、その歓楽街全体の波動関数は収縮しその歓楽街もひとつの時空間として現実化し固定される。
 私とその歓楽街に位置するさまざまな店との間には確率的に幾通りもの道筋がある。ファインマンの「歴史総和法」によれば、私はありとあらゆる可能な道筋を試そうとする。私は何らかの方法でその歓楽街の時空間全体に広がっており、まったくでたらめな方法ですべての店につながっているとともに、その私が私自身と干渉しあっている。私は同時に歓楽街のすべての店に存在し、かつどこの店にも存在しない。しかし、私がとある店のドアを開けるやいなや、言い換えれば、その歓楽街の片隅のその店という局所で私が観測されるやいなや、確率的可能性でしかなかった宇宙から、たったひとつの宇宙に収縮し、その宇宙の片隅のとある繁華街のとある店のまわりに広がる時空間全体を現実化し固定化するのである。
 シュレジンガーの波動理論に登場した波動関数こそ、姿を変えた「アロサの黒婦人」のように思える。彼はその黒婦人に魅入られ、そして導かれ、奇跡のような12ヶ月におよぶ創造的思考を実現したのであろう。そして、それはまた我々が生きている不可思議な宇宙のそこかしこに「ちらりと姿をかいま見せる謎の黒婦人」でもある。だがこの謎の黒婦人をしっかりとつかまえベールに隠された素顔を見たものは未だ誰もいないのである。

2016.09.15


copyright © Squarenet