未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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力への意志
人が何事かを行うためには「何らかの力」を必要とする。この「何らかの力」を類別すれば以下のようになる。
「金の力」 (人間が多くの金を持つことにより発生する力)
人はその金を所有した人から何らかの金がもらえるのではないかという希望的観測でその人に従う。
「法の力」 (多くの人間の容認の下に定められた規制が発生する力)
人はその規制に違反すると与えられる罪と罰から免れるためにその規制に従う。
「人格の力」 (優れた人格を持つ人間が発生する力)
人は優れた人格の所有者に対する信頼感でその人に従う。
「知恵の力」 (優れた知恵を持つ人間が発生する力)
人は優れた知恵の所有者に対する問題解決能力に期待してその人に従う。
「権限の力」 (組織の中で権限を持つ人間が発生する力)
人は所属する組織の中においてその組織上の権限を多く所有する人に従う。
これらの力の本質を考えるとその根底に人間の「自己保存の法則」が作用していることに気がつく。人は誰もが自己生命の生存維持の保証を求めておりその保証がより確実により長期間に渡り獲得される「対象」に従うのである。
哲学者ニーチェは全ての人間に「力への意志」があるとする。この力への意志の裏返しが「自己保存の法則」である。この法則は人類の歴史が始まって以来、絶えることなく脈々と受継がれてきた法則であり、この法則を何人も否定することはできない。いくら体面をつくろい言葉を飾ってみてもその根底にはこの「力への意志」、つまり「自己保存の欲求」が横たわっていることを何人も隠すことはできないのである。
人間が自律した自由意思の意識パワーを獲得するためには、まずはこの「自己保存の法則」を満たさなければすべては砂上の楼閣である。人は皆、自己の生活を保証し食わしてくれる人に従うのである。この「力の存在(力の構造)」を無視して「自由を声高に叫んでみても」、その自由とは仮想の自由でしかない。 大きな自由意思の獲得にはまた大きな力の獲得が必要なのである。
文 /
柳沢 健
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