前略 ・・・ 我が家に下宿していたSさんは京大に2浪した後、都落ちの気分にて松本に至り、信大に席をおいていた。私が16歳であったから、Sさんは20歳を越えていたにちがいない。世相は学生運動の混乱期であったが、狂騒は地方まではとどかず、2階の隣同士の部屋であった私達は、階下の両親が寝静まった頃を見計らっては、夜毎そろそろと家を抜け出し、深夜の松本の街を徘徊、時には焼肉屋で、時には喫茶店で、あれこれとくだらないことを、とりとめもなく話していた。時勢の標語は「青年は荒野をめざせ」であり、巷には藤圭子の歌う「新宿の女」が流れていたことを記憶している。それから40年の歳月が流れたことになる。その後、高校を卒業した私は青雲の志を抱いて大阪に向かい、Sさんは群馬県で高校の教師になったのだが
・・ 年齢からすれば、もう定年退職しているであろうか ・・・ 後略
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