歴史作家、宮城谷昌光に「沈黙の王」という著作がある。「文字をつくった王」の話である。商(殷)王朝 21代の王、小乙には、子昭という子があったが、生まれながら言葉をしゃべることができなかった。小乙は言葉をしゃべれない子昭は、嗣子にふさわしくないとし、「汝は言葉をさがしにいかねばならぬ」と命じて追放してしまう。「言葉をさがす旅」に出た子昭は艱難辛苦の末、ついに人の言葉ではなく「象(かたち)を森羅万象から抽(ひ)き出す」天地の言葉、万世の後にも滅びぬ言葉である「文字」をつくりだしたのである。現在甲骨文字と呼ばれている中国最古の文字体系がそれである。小乙を継いで商王朝 22代の王位についた子昭は、高宗武丁(紀元前1250〜1192年)と称された。
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