未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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世界の救済
最先端科学は宇宙のフラクタル構造を解き明かしはじめた。
フラクタル構造とは「入れ子」の構造である。物質を微視化していくと原子核とそれを周回する電子で構成された原子構造が観察され、逆に巨視化していくと太陽とそれを周回する惑星で構成された太陽系構造が観察される。このふたつの世界は同じ構造をもった入れ子である。
さらに微視化していっても巨視化していっても再び同じ構造が観察され、無限の階層を成し連続する。この構造をフラクタルと呼ぶのである。
この構造法則は宇宙存在のあらゆるものに潜在する内蔵秩序である。
一枚の朽葉に生息するバクテリアの世界は庭の片隅で活動する蟻の世界と同じであり、それは安曇野に暮らす人々の世界と同じであり、それは長野県の ・・、日本国の ・・世界と同じである。
さらにこのフラクタル構造を探求していくと我々の宇宙が一滴の雨だれの中に存在しているのか、一杯のお茶の中に存在しているのか、池の中に存在しているのか、はたまた大海の中に存在しているのかという疑問に直面する。
しかし、人類はこの我々が居住する世界のフラクタル階層を永遠に知ることができないであろう。
このことは「宇宙には大きさという概念は無く、仕組みという概念しかない」という直観的覚醒を我々にもたらす。大きさという概念はせいぜい我々が目撃できる銀河系宇宙程度までであり、それを越える大宇宙に展開されると意味を失う。
この認識の覚醒は我々がはるか悩み続けてきた「宇宙の果て」という究極の問いに重要な示唆を与える。なぜなら大きさが無く仕組みだけの宇宙であってみれば、もとより宇宙の果てなどという大きさ概念を基とした問い自体が消失してしまうからである。
この仕組みだけの宇宙をもう少し分かるように記述するならば「顕微鏡で眺めていた宇宙が実は望遠鏡で眺めていた宇宙であり、望遠鏡で眺めていた宇宙が実は顕微鏡で眺めていた宇宙であるような構造」となる。
この宇宙の眺望において顕微鏡と望遠鏡はまったく同じものなのである。
かって千利休が言ったという「世の中のこと一杯のお茶にしかず」とはこの宇宙フラクタルを象徴的に表現している。まさに細部は全体であり、全体は細部なのである。そしてこのフラクタルメカニズムは次の箴言を導き出す。
「一人を救う者は世界を救い、世界を救おうとする者は一人も救えない。」
文 /
柳沢 健
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