未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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観察力
三国志の英雄、諸葛亮孔明の自然や人間に対する観察力は並外れて優秀であった。この観察力とはいったい何であろうか ・・?
同じ状況や現象を見ても、その中から何も見いださない人もいれば、眼光紙背に通ずというような優れた観察力を有する人もいる。この差はどこから発生するのか ・・?
一般にこの観察力を「勘」の良し悪しで表現する人もいるが、では勘とは何か ・・? 文学的表現として「感受性」という言葉に置き換えることもできようが、感受性が優れていることが、必ずしも勘が良いことにはならない。
これらの観察力、勘、感受性の中には「未来の予測」という機能が内在している。ただ単に万物事象の「分析能力」だけではなく、その「予知能力」が含まれているのである。万物事象に対する分析能力と予知能力のふたつが備わったときに、見えないものが見えるようになる。
諸葛亮孔明は子供の頃より自然を、そして人間を、そしてそれらが構成する社会構造を飽くことなく集中した思考力をもって観察してきたのである。また成人した後も「晴耕雨読」と呼ばれた日常生活の中であらゆる書物を読み、思考し、社会の片隅の野から社会を観察し続けたのである。やがて人生の後半に至り、「三顧の礼」をもって弱小国である蜀の王、劉備に請われ春秋戦国の世に出る。この完成された「観察力」をもって世に登場したその後の諸葛亮孔明の鬼神も畏れた獅子奮迅の活躍は小説「三国志」に詳しい。
孔明が採った最も有名な計略が魏、蜀、呉の三国による「天下三分の計」の秘策である。それぞれの牽制作用を用いて、戦乱の世を平定したのである。「天才」と言ってしまえばそれまでであるが、歴史は時としてこのような「偉大な意識」を登場させるものである。
孔明最後の戦いは「五丈原の戦い」であり、相対したのは魏の将軍、司馬仲達であった。孔明は陣中で死期を悟り、自分の死後の策を部下に授ける。その策に陥った仲達は一目散に逃げ去るのであった。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という後世まで語り継がれる計略であった。
孔明の仲達に対する観察力は死してなを有効に作用し宇宙を操ったのである。優れた観察力とはいかなるものかを物語っている。
文 /
柳沢 健
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