未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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雅(みやび)
雅とは目的に向かう過程に顕れる「挙措の美学」であり、日本が世界に誇れる古式ゆかしき珠玉の文化である。
雅の精神はかかる目的が達成されるか否かには直接関係しない。目的とは達成された瞬間、次の目的が顕れる必然性をもつ。そのため目的そのものが消滅することはない。従って目的の達成が物事の完成であり、終わりであるとするならば、その完成や終わりは永遠に訪れることはない。同様に、生きる意味をこの目的達成に求めるならば、永遠に得ることはない。
つまり、人間が生きる意味や意義はおよそこの目的を「達成」するところにあるのではなく、その目的に向かって生きる「過程」にこそある。言うなれば目的達成が目的ではなく、その目的達成へ向かう過程が目的なのである。
生きる目的がその過程にあるとするならば、一日一日、その日々の中で為される一挙手一投足こそが問題にされなければならない。何より、その日々の行為の挙措が美しく、高貴でなければならない。その挙措の美を裏打ちするものが雅の精神である。
以上を念頭において、現代社会を俯瞰すれば、過程などにはほとんど意味がなく、目的達成という結果こそが重要であり、意味があるという風潮が大勢を占る状況である。目的が達成されさえすれば、その過程で為された手段や方法は問われず、いかなる醜き行為や卑怯な行為も正当化されるがごとき様相を呈している。その中で現代人は人生の目標を目的達成と定め、脇目もふらず、しゃにむに生命のエネルギが尽き果てるまで突っ走っていく。
だが前述したごとく、目的は達成されればさらなる次の目的にとってかえられるのが宿命であり、永遠に終わりがない。従って現代人が生きる意味を目的達成だけに固執し続けるならば、雅の世界が顕れる可能性は永遠にない。このような馬車馬のごとき生き方が尊厳ある人間の生き方であるはずもなく、もしこのような生き方が人生であるとするならば、人生とは「徒労」以外の何ものでもない。
現代人はどこかで本末を転倒させてしまった。今一度、いにしえに戻り、雅の精神に学ばなくてはならない。しからば、必ずや人間の尊厳は回復し、美しき人生が顕現するであろう。
文 /
柳沢 健
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