このような「惨状」の中で、唯一日本人にとって「しゅうきょう」の意味に近いものが何かと考えると、あるひとつの観念に行き当たる。それは「金銭崇拝」という執着心である。日本人の生活倫理や人生哲学がこの金銭崇拝の上に構築されているのであるとするならば、機能上は他国の「宗教」と等価であると考えても何らさしつかえがない。日本人は好むと好まざるとにかかわらず、この金銭観念の執着心の統制下で、この数十年間にわたり生きてきたのである。それはまた現代日本人の思考や行動様式の裏に横たわる潜在意識でもあり、教育しかり、芸術しかり、科学技術しかり、この「金銭崇拝教」の上に構築されてきたのである。
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