もう10数年も前になろうか、私の研究所に勤務した紅顔初々しい青年がこの宮の造営にしたがって伊勢からこの地に移り住んだ人々の末裔であり、その彼の慈父が亡くなられた折りに、この宮で行われた神前葬に出席したことがある。そのときは事もことであり、本殿に拝殿することなくきびすを返した。その神明宮を今日ようよう訪れることができた。県の天然記念物に指定されているスギ、ヒノキなどが茂る社叢には秋の穏やかな陽ざしが降りそそぎ、神域は厳かに静まりかえっている。高い梢の葉影に棲息する小鳥たちだけが、遥かな経過時間に加えて、今日という「刹那の刻」を積み上げている。
仁科神明宮は日本最古の「神明造」をもつ国宝(本殿、釣屋、中門)である。長野県の神社建築の中で、国宝に指定されている文化財は唯一「ここだけ」である。この神明造の代表は伊勢神宮(三重県)であるが、神明宮の本殿は、幾山河を隔てた彼方に建つその伊勢神宮を望んでたたずんでいる。また神明宮が安曇野を中心にして、その東山麓の高台に位置し、その西山麓の高台には、有明山を背にした有明山神社が位置していることは、まことに象徴的である。余談になるが、当時、この有明山神社の宮司のご子息もまた私の研究所に勤務しており、両宮社が背負った「深い縁(えにし)」を感じないわけにはいかなかった。仁科神明宮と有明山神社をつなぐ「点と線の記述」は本旨をはずれるので、ここでは割愛するが、どこかでしっかり書いてみたいと思っている。しかして、その前段は、地元紙に掲載された「 安曇古代史仮説(安曇野の点と線)」に詳しい。
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