「彫刻公園」展望台での撮影をおえたあと、同じ散策路をくだるのは芸がないと、迂回路を選び、少々気落ちした気分で歩いていた私の視界は突如として開かれ、眼下に富士見高原の全域が広がった。それどころか、北方遠くに「中央アルプス」の山並が、正面に甲斐駒岳を前面にした「南アルプス」が、遮るものもなく天空に聳えている。さらには南方遠くに「富士山」さえ雲上に顔を出していた。そして今まさに、晩秋の八ヶ岳高原の空を渡ってきた日輪が、今日の仕事をおえ、西方に没しようとしている。
絶景を前に呆然と立ちつくしていた私が、我に返って、その瞬間の定着を試みようとカメラをセットするまでには、しばし時の経過を要した。撮影をおえてから、ようようあたりを見回し、立て標識を読むと「望郷の丘」とあった。誰がつけたか、現代では死語のように古めかしくも、また懐かしい命名である。シベリアに抑留された日本兵が、遠く祖国日本を思って涙した時代が甦ってくるようである。名優、鶴田浩二が歌った「異国の丘」が彷彿として思い浮かんだ。戦後、日本は「あの丘を越えて」歩んで来たのである。かくみれば「望郷の丘」からの眺めは、久しぶりに出逢った「故国の風景」でもあった。
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