その5
夕ぐれの うすらあかりは 闇になり
いま あたらしい生は 生れる
だれが かへりを とどめられよう!
光の 生れる ふかい夜に -
さまようやうに
ながれるやうに
かへりゆけ! 風よ
ながれのやうに さまよふやうに
ながくつづく まどろみに
別れたものらは はるかから ふたたびあつまる
もう泪するものは だれもいない ・・・・ 風よ
おまへは いまは 不安なあこがれで
明るい星の方へ おもむかうとする
うたふやうな愛に 担はれながら
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【 立原道造 略歴 】
1914年 7月30日 東京市日本橋区橘町に生まれる。
1934年 東京帝国大学工学部建築学科入学。
1935年 小住宅(課題製図)の設計で辰野金吾賞を受賞。
以後卒業まで3年連続受賞する。
1937年 3月 卒業制作「浅間山麓に位する芸術家コロニイ
の建築群」を提出。
卒業後、石本建築事務所に入社。
1938年 8月 肺尖カタルのため休職、信濃追分転地療養。
12月 長崎に滞在中喀血。
帰京後東京市立療養所に入所。
1939年 2月 第1回中原中也賞受賞。
3月29日 病状急変し永眠。享年26歳
(満24歳8か月の生涯であった。)
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