ビジョンウィンドウから眺める信濃の四季
窓の向こうに世界が見える〜信州つれづれ紀行から
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姨捨の棚田 / 長野県千曲市
姨ひとりなく
信州人である私でも「姨捨山の由来」については、はなはだ曖昧な知識しか持ち合わせていない。昔、生活に困窮した村人が食い扶持を減らすために、年老いた老婆を山に捨てた程度のことは言えるのであるが、それが「いつ」のことであって、「どこ」なのかと問われると返答に窮する。
「おもかげや姨ひとりなく月の友」 芭蕉
この句は元禄元年の「更科紀行」に見える。芭蕉は木曽路から姨捨を訪れ、丁度、旧暦八月十五夜をここで迎えたとのことである。棚田に映る「田毎の月」を眺望する高台にある天台宗長楽寺(ちょうらくじ)の境内にはこの句碑がある。 芭蕉の時代には、この長楽寺のあたりが姨捨と呼ばれていたとのことである。現在は南側にある冠着山(かむりきやま)が姨捨山と呼ばれているとのことである。芭蕉の絶唱は、かかる姨捨伝説の地に自らの足で立って、捨て去られたであろう老婆の心情を深く想起したものにちがいない。
句碑の上には「姨岩」と呼ばれる大岩が堂宇をつぶさんばかりにそそり立っている。その景観は、私の記憶の中から、今はなき緒方拳が熱演した「映画/楢山節考(1983年)」のラストシーンを甦らせた。それは捨てられた老母(坂本スミ子)が降り出した雪の中で手を合わせ念仏を唱えながら光り輝く観音菩薩に化していく岩山のシーンである。おそらくは今村昌平監督もまた芭蕉と同様、この大岩の下に立ったのではなかったか。
「姨岩」と呼ばれるこの大岩は、木ノ花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉、大山姫(姨姫)が不美人に生まれたことをはかなみ、京都からこの地に来て、大岩の上から月を見ているうちに、自分の醜い心を悟り、懺悔して身を投げたという伝承による。神武天皇が古い話というような古い話である。
ともあれ、「姨捨伝説」と「棚田に映る田毎の月」は、古来、歌人のこころをとらえてはなさない詩情であるとみえる。以下にその一端を記す。
「更級や昔の月の光かはただ秋風ぞ姨捨の山」 藤原定家
「あやしくも慰めがたき心かな姨捨山の月を見なくに」 小野小町
「君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき」 紀貰之
「諸共に姨捨山を越るとは都にかたれ更級の月」 宗良親王
「隈もなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき」 西行
「姨捨てし国に入りけり秋の風」 一茶
「姨捨てた奴もあれ見よ草の露」 一茶
文・撮影 /
柳沢 健
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