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諏訪の春(8)
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鶴峯公園 つつじ祭り / 長野県岡谷市
名残の息吹
 鶴峯公園は、赤、紫、ピンク、白、30余種3万株の色とりどりのツツジが咲き乱れる。 事の経緯では、昭和10年にツツジを300株購入しようとした時に、業者の勘違いで貨車3台分が送られて来て、返品もできず、村民が何日もかかって植え込んだために、かくなる名所ができあがったと説明している。
 元は片倉製糸の所有地で、昭和のはじめに公園化して鶴峯と名付けられたとのことであり、公園の最上段には岡谷、諏訪の製糸業の草創を画し、地方財閥として名を馳せた 「初代、片倉兼太郎」 の像が、諏訪湖を睥睨するように胸を張って立っている。 その諏訪湖から流れ出る天竜川の水は軟水であり、絶好の製糸用水として、当時 「諏訪湖の水は糸になる」 とまでいわれたという。 兼太郎が創始した片倉製糸紡績株式会社は当時世界最大の製糸会社までにのぼりつめた。
 1872(明治5)年には人口わずか4500人足らずの平野村(現岡谷市)は、1920(大正9)年には約4万5000人と10倍に膨れ上がり、その大部分が製糸労働者で、それも圧倒的に若い女子(女工)であった。 岐阜県飛騨の山村から難路野麦峠を越え、岡谷の製糸工場に就労した女工たちがたどった 「過酷な現実」 を描いた山本茂実の小説 「あゝ野麦峠」 は特に有名で、映画化された。 明治政府が執った 「富国強兵・殖産興業政策」 に沸いた当時の岡谷、諏訪の繁栄は、大変なものであったというが、現在では痕跡も残さず喧噪は夢のごとく時空の彼方に消えてしまった。
 だがかく歴史を顧みれば、眼前に咲く 「色艶やかなツツジの花々」 は、この地に確かにあったであろう 「昂揚した心意気」 を彷彿とさせるとともに、その時代を彩った人々の 「名残の息吹」 のようにも、あるいは 「忘れがたき形見」 のようにも思えてくるのである。
2011.05
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