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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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兎川寺 / 長野県松本市里山辺
石川数正かくあるか
 「しだれ桜」 が有名なこの寺を訪れたのはいつのことであったであろう。 兎川寺と書いて(とせんじ)と読む。 本尊は千手観世音菩薩。 無数の眼と手を持ち、人々のあらゆる願いを聞き入れ救済するといわれる。 神仏分離令(廃仏毀釈)で一度は廃寺となり、山辺小学校の校舎として利用されたこともあった。 真言宗智山派の寺院、山号は恵日高照山、信州七福神の寿老人札所。
 NHKの大河ドラマ 「どうする家康」 に登場した石川数正夫妻の供養塔がこの寺にあることを知って、再訪するならば 「しだれ桜」 が咲く頃と思い定めていた。 石川数正は幕藩体制のもとでの最初の松本城主で天守閣を造営した武将といわれている。 もともと石川氏は徳川譜代の重臣で、酒井氏と並ぶ名門中の名門であった。 だが豊臣秀吉が徳川家康と争った小牧長久手の戦いの後、数正は、豊臣秀吉とよしみを通じて、家康のもとを去って秀吉のもとへ走り去った。 世に言う 「岡崎出奔」 である。 その真相は400年余を経た今尚、謎のままである。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって数正は、筑摩、安曇8万石の領主として松本に入った。 その後、文禄元年(1592年)、数正は朝鮮出兵の帰途病死した。 天守閣の創建年代は諸説あるが、完成させたのはその子、康長であるとされている。 その康長も慶長18年(1613年)、「日頃の不義」 を理由に改易されている。 あるいは、父、数正が背負った 「岡崎出奔事件」 が影響したのかもしれない。 なぜに兎川寺に数正夫妻の供養塔が立てられたのかはわからないが、松本におけるささやかな足跡を今に伝えている。
 供養塔は本堂西の一隅に、たどった数奇な運命を湛えて、ひっそりと立っていた。 そこには孤高の戦国武将としての凛とした佇まいがあった。 その姿はもはや 「見事」 というしかない。

2024.04


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