NHKの大河ドラマ 「どうする家康」 に登場した石川数正夫妻の供養塔がこの寺にあることを知って、再訪するならば
「しだれ桜」 が咲く頃と思い定めていた。 石川数正は幕藩体制のもとでの最初の松本城主で天守閣を造営した武将といわれている。
もともと石川氏は徳川譜代の重臣で、酒井氏と並ぶ名門中の名門であった。 だが豊臣秀吉が徳川家康と争った小牧長久手の戦いの後、数正は、豊臣秀吉とよしみを通じて、家康のもとを去って秀吉のもとへ走り去った。
世に言う 「岡崎出奔」 である。 その真相は400年余を経た今尚、謎のままである。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって数正は、筑摩、安曇8万石の領主として松本に入った。
その後、文禄元年(1592年)、数正は朝鮮出兵の帰途病死した。 天守閣の創建年代は諸説あるが、完成させたのはその子、康長であるとされている。
その康長も慶長18年(1613年)、「日頃の不義」 を理由に改易されている。 あるいは、父、数正が背負った 「岡崎出奔事件」
が影響したのかもしれない。 なぜに兎川寺に数正夫妻の供養塔が立てられたのかはわからないが、松本におけるささやかな足跡を今に伝えている。
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