また岩井観音堂がある地域は、かって 「岩井堂炭鉱」 として栄えていたところであるという。
明治12年(1879年)、紀州の金森信一郎一行が善光寺参りの帰り道に岩井堂観音山に露出する石炭層を発見した。 4年後の明治16年(1883年)、金森らは岩井堂で鉱区を設定し、炭鉱の鉱業権を獲得し。
金森は岩井堂炭鉱開鉱の先駆者となるとともに、その功績は近現代の諏訪・岡谷地域の養蚕業を支えた西条炭(現在の筑北村西条にかける一帯で産出した石炭)の発見に至るきっかけともなった。
岩井堂炭鉱での石炭の出荷が軌道に乗ると、明治26年(1893年)には、規模にして採炭量200トン以上を誇ったとされる。 明治30年代に西条炭が開発されると、明治後期から大正時代にかけて黎明期を迎えた。
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