九十九谷森林公園からの帰路は前回と同様に天竜川を眼下にする河岸段丘に咲くポピーを見ようと迂回した。
その地が 「縄文の丘フルーツパーク」 であることを知ったのはのちのことであった。 伊久間原遺跡では縄文時代から古墳時代に渡る
400軒余 の住居址が見つかっている。 縄文の丘からの眺めは縄文人がこの地に住居を構えた心根がいかなるものかを想起させるに充分な景観であった。
天竜川が削りだした対岸の段丘には 飯田の富士 と呼ばれる 「風越山」 が飯田市街地を見守るかのように鎮座している。 こちらの縄文の丘フルーツパークの周囲は目当ての
ポピー園 をはじめ リンゴ畑 などが点在する 「のどかな田園地」 となって両段丘の好対照を成している。 どうやらここは知る人ぞ知る
ビュースポット のようであって中には夜景を楽しむ人もいるという。 縄文世界では現代のように中央とか地方の区別はなかったであろうから、あるいはこの地は
「桃源郷にも似た輝ける楽土」 であったのかもしれない。 ふと そんなことを想った。
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