未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
信州つれづれ紀行 / 時空の旅
大輪寺のツツジ / 長野県上田市
寒松院の夢は遥かなり
大輪寺は真田昌幸が上田築城の折に夫人の発願によって再建されたといわれる。 その昌幸の夫人である寒松院の墓がある。 寒松院は真田信之、真田信繁(幸村)の生母で、生前は山之手殿(または京の御前)と呼ばれていた。
慶長5年(1600)の関ケ原合戦の際には人質として大阪城に居住していたが豊臣方に味方することに決した真田昌幸公の知らせを聞いてひそかに大阪城を脱出して上田城へ帰ったといわれている。 昌幸の墓は父母の幸隆夫妻と並んで真田の長谷寺にある。 長谷寺には2016年1月(
第419回
)に訪れている。 だが夫人である寒松院の墓所が大輪寺にあることは今日知ったことである。
寒松院は昌幸が世を去った2年後の慶弔18年(1613)に亡くなっている。 墓は堂宇の裏手の斜面を登った高台にあった。 現在は高く生い茂った林間の梢によってその視界は遮られてはいるが、当時は高台からは昌幸、信之、信繁とともに過ごした上田城が眼下に眺めることができたであろう。 ここに墓所を定めた寒松院の心根が偲ばれる。
本堂の裏手には墓所への斜面を背に瀟洒な日本庭園が配され、折しもツツジの季節とあって午後の日盛りの陽を浴びて鮮やかな色彩を放っていた。 あたりには訪れる人影とてなく真田家が背負った悠久な時間を湛えてしんとしている。
2019.05
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