「群盲象を撫でる」ということわざがあります。盲人の集団が象に触って「象とは何か」を知ろうとしている構図です。そのとき、鼻に触っている者は「象とは蛇だ」と言い、足に触っている者は「象とは丸太だ」と言い、お腹に触っている者は「象とは岩だ」と言い、耳に触っている者は「象とはヒラメだ」と言ったとします。彼らの話を総合すると「象とは蛇で、丸太で、岩で、ヒラメだ」というわけです。目が見える人にとってはおかしな話なのですが、目の見えない人にとってみれば、象とは「そのようなもの」なのです。
ここで仮に鼻に触っている者が「科学者」で、足に触っている者が「経済学者」で、お腹に触っている者が「文学者」で、耳に触っている者が「芸術家」であったと考えてみたらどうでしょう。科学者は象とは蛇だと言い、文学者は象とは岩だと言い、経済学者は象とは丸太だと言い、芸術家は象とはヒラメだと言っているわけです。この状況から象を知ろうとしたら、これらの人たちが言っていることをすべて統合しなければなりません。蛇でヒラメで、丸太で岩と表現された象とはどのようなものかを頭の中で想像し、それらの表現を過不足なく妥当性をもって適合する象の姿を見つけだす必要があります。この過程こそが研究開発のプロセスそのものなのです。
数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した数学者の広中平祐さんが数学とは「何だ」と問われたときに「地面に映った影だけを見て、その影を投じた物体を証明するようなものだ」言っていたことを何かの本で読んだことがあります。私たちはいつも「真理の影」しか見せてもらえないのです。
今地面に「あるもの」の影が映っています。ジャングルジムのような、ジェットコースターのような、あるいはクモの巣のような形をした影です。広中さんの専門は特異点解析ですから線と線が交差した箇所などを調べるわけです。どうもこの交点は上に平行に離間した線の交点のようであって、この交点は今度は下になっているというように解析を進めていきます。そしてついにはこの影を投影した実態とは「ジェットコースター」であると確定するわけです。この過程もまた研究開発のプロセスそのものです。
つまり、アイデア発見の過程とは盲人である私たちが象を触って象の実態を知ることであり、また地面に映った影からジェットコースターを探しあてることなのです。そのためにはあらゆる学問分野を分け隔てることなくクロスオーバーして学ぶことであり、眼光紙背に通ずというごとくの観察眼を養う必要があるのです。 |