| 動が 「積極的」 であり、静が 「消極的」 であるかは一概には言えない。
機が至らぬ状況での動とは 「手の内の暴露」 であって、顕れてしまったエネルギは消滅するしかない。 動の有効性は機が至った時の 「刹那」
での行使にあり、これにより事の勝敗は決する。 機が至らぬ状況での静には、計り知れないエネルギが秘められている。 静の有効性は機が至るまでの
「継続」 に存するのであって、この行使により事の勝敗は決する。 つまり、事の成否は、機に応じた動と静の 「調和」 にある。 事を急いだからとて、またゆっくりしたからとて、それによりどうなるものでもない。
また、機とは天・地・人の 「三つの気」 が一点に集まった瞬間であり、その機を見極めて、動と静を選択的に行使すれば、事は自ずと成るのである。
天・地・人の三つの気が一点に集まる現象とは、時代の潜在エネルギ(ディオニュソス的意識エネルギ)が、ある日、ある時、突如として顕在エネルギ(アポロン的意識エネルギ)に昇華し、とある時空風景を象出させようとする現象である。
これこそが 「直観的場面構築」、「歴史的場面構築」
のメカニズムに他ならない。
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