かってパリの裏街通りに住み古びた壁ばかりを描き続けた日本人画家がいた。 画家は壁には街が背負った歴史が刻まれ、太陽の光と風雪が刻んだ
「時間が蓄積されている」 と述懐した。 パリの壁にとどまらず、あらゆる物(モノ)には経過した時間が蓄積され、また蓄積された時間がその物に表象している。
一挙に還元すれば 「物とは時間」 であり、また 「時間とは物」 である。 ローマの古代コロセウム、ギリシアのパルテノン神殿、はたまた奈良法隆寺の伽藍
・・ 等々には、その上を流れた遙かな時間が刻まれ、蓄積されている。 我々はこれらの蓄積された 「悠久なる時間」 に遭遇することで、圧倒され、感動させられる。
人間とてこれらの物と何ら変わりはなく、「通り過ぎていった時間」 が身体に蓄積される。 ただ、時間で刻まれた 「その顔」 が、パリの壁ほどに重厚で、穏和で、静謐であるかどうかは別にして
・・・。
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