ベストエッセイセレクション
人工知能時代
〜 プロローグ 〜
米国で広がる 「ジョブハギング(job hugging)」 は不安から今の仕事にしがみつく行為を指している。 調査では労働者の75%が 「2027年まで現職に留まる」 と回答。 理由の48%が 「経済の不確実性への恐怖」 である。 背景にあるのは 「AI(人工知能)」 の急速な普及である。 「ジョブハギング」 は米国だけの現象ではない。 日本でも求人広告の掲載件数が4カ月連続で減少。 事務職は前年比約16%のマイナスである。 米国と違って簡単に社員を解雇できない日本では 「しがみつき社員」 が急増する恐れがある。 最近は、不満を口にする社員が減ったという。 みずほFGは全国約1万5000人の事務職員を今後10年間で最大5000人削減する方針を発表した。 AIを本格導入し、書類確認やデータ入力をAIに任せるという。 社員は解雇せず、営業や業務支援への配置転換を進め、学び直しの支援を行うというのだが、単なる配置転換では、「静かな解雇」 に追い込むことになりかねない。 世評では、企業はもっと積極的に 「リスキリングの機会」 を提供して新たな価値を生み出せる人材に育てるべきであるというのだが、はたして効果はいかばかりであろうか? 以下の記載は、人工知能に関する本稿の論考を時間軸にそって編集したものである。 省察願えれば幸いである。
ホーキング博士の警告
かってのSF(サイエンス・フィクション)映画に、人類がコンピュータに支配されてしまうというのがあった。 この構図はその後、姿形を変えて何度も映画化されてきた。 時に 「コンピュータがロボット」 に置きかえられ、時に 「ロボットが猿」 に置きかえられ、時に 「猿がウィルス」 に置きかえられ ・・ といったように。
先頃、車椅子の天才物理学者、スティーヴン・ホーキング博士(英国1942〜)が 「完全な人工知能の開発は、人類の生存に終止符を打つだろう」 と警告した。 最終的には科学技術による大惨事が 「ほぼ確実に」 起きると指摘し、避けるには人類が地球以外の惑星にコロニー(居留地)を建設する必要があると訴えた。 かってのSF映画はSF的夢物語であったから笑って楽しめたが、現代では実現可能な現実的物語であって、身につまされて笑えない。
2015.02.04
人工知能は人間を超えられるのか?
長い試行錯誤を経てもいまだに解決できない問題に 「他我問題」 というものがある。 他我問題とは 「他人の心をいかにしてわれわれは知りうるか」 という哲学的問題である。 例えば、友人と赤の交通信号を見ているとしよう。 そのとき、私と友人の赤の感覚は同じだろうか? それとも、違うだろうか? あるいは、友人はそもそも何かの色を感じているのだろうか? それを直接にテストする方法はありえない。 なぜなら 「私は友人ではない」 からである。
他我問題に似た哲学的問題に 「予定調和」 というものがある。 こちらはドイツの哲学者ライプニッツの形而上学的根本原理のひとつで、例えば、友人 A が語った言葉を、友人 B が理解するのは、A と B の2つのモナド(実体概念)におけるそれぞれの内的変化があらかじめ神によってしかるべく定められているからであると説明される。 これでは何を言っているのかわからない。
さらなる説明は 「唯心論的物理学(
第281回
)」、「予定調和の構造(
第282回
)」、「実在からの脱皮(
第285回
)」、「 神の目と人の目(
第286回
)」、「私とコンピュータ(
第288回
)」、「宇宙のありか(
第437回
)」、「厳然たる事実(
第771回
)」 ・・ 等々を参照願えれば幸いである。
人工知能は以上の2つの問題 「他我問題、予定調和」 を突破できるのであろうか? 分かり易く言えば 「人工知能は心をもつことができるのか?」 ということである。
人間の心の裏側には個々人が抱く 「自由意思」 が横たわっている。 人工知能はこの自由意思をいかに理解するのであろう。 アメリカの科学ジャーナリスト、ジョン・ホーガンは著書 「科学の終焉」 の中で、人間の科学は 「あなたが意識的であることがどうやって私にわかるのかという問題」 を解決しないだろうし、できないだろうと述べたあと、「もっとも、それを解決する方法が “ただひとつ” あるかもしれない。 それは、すべての心を “ひとつの心” にすることだ」 と皮肉混じりに結論している。 確かに自由意思を排し、すべての心をひとつにすれば、科学的還元論で突破することは容易に可能であろう。 だがそれでは高性能なロボットが誕生するだけである。
だが取り巻くコンピュータ社会の現状を観察するとき、人間そのものの心が自由意思を捨てて単一的なロボットの心に近づいているように見えるのはどうしたことであろう? これでは 「ロボットが人間化」 する前に 「人間がロボット化」 してしまいかねない。 おそらくホーキング博士の警告の根底には、かくなる 「人間存在への危機感」 が横たわっているのかもしれない。 私はかって 「認識と情意(
第243回
)」 の中で、現代社会の代表は認識科学の粋を結集した 「コンピュータ」 であろうが、コンピュータに 「私が好きか?」 と聞いてみても、「何も答えてはくれない」 と結んでいる。
2015.03.14
予測不能な未来
世界の明日は混沌としている。 未来を確と予測できないことは誰しも納得するところであろうが、コロナ禍に覆い尽くされた現代社会の状況はその比ではない。 因果律的な経験則から考えてもとんと見当がつかない。 そんなときこそ 「超高速スーパーコンピュータ」 を使って予測すべきであろうが、なぜかその筋の者たちは沈黙したままである。 科学技術の粋を結集した超高性能人工頭脳(人工知能)をもってしても予測が不能というのであれば、「事は重大」 である。 それとも、スーパーコンピュータはもともと 「未来が予測できない」 しろものなのか? そうであれば、その超高速の計算能力をいったい何に使おうとしているのであろうか?
2020.08.19
理の変換器
人工知能(AI)が幅を利かす時代ともなれば、人は何を考え、どう生きたらいいのであろうか? 今では、プロの棋士でさえもAIの手筋に翻弄される始末である。 そのような時代の基となった 「人間社会の様相」 を 第1618回 「理の変換器」 で描いている。 今後の指針となる論考であることを踏まえ、ここでその全文を以下に掲載する。
現代人が絶大な信頼をよせる科学的合理性と呼ばれる 「理」 は今や信頼から精神的な 「依存」 へと変質し、さらには宗教的な属性である 「帰依」 へと変貌を遂げつつある。 この流れを導いたのは、この世の万物事象に名を与えた 「言葉」 であることは少し考えれば誰しも了とするところであろう。 依って現代人は信頼の証としてその理を言葉に変換しなければ気がすまない。 理は言葉に置き換えてこその理であって、言葉に置きかえられない理は理ではない。 それは妄言であり、虚言であり、戯言である。
しかしながら、あらゆる万物事象を言葉に置きかえたとしても、それが 「理の本質」 をとらえたことになるであろうか? それはよくできた機械としての 「変換器」 と同じではないのか? コンピュータ万能の現代であれば、その程度の変換はいとたやすいことであろう。 まして科学的合理性としての理はコンピュータが得意とする 「ロジック(論理)」 をベースとすることからして、その 「アルゴリズム(計算方法)」 をコンピュータに入力することに何ほどの困難があろうか?
現代社会はかくなるコンピュータ的な 「変換器人間」 で満ちあふれている。 彼らはそれを 「自らの能力」 と思い込んでいるだけに、ほとほと始末がわるい。 さらに周囲もまた、それを助長するかのようにその能力を才能であるかのようにもて囃すからその迷妄はいっこうに覚醒することがない。 はたして彼らはその 「理の変換器」 を使わずに、その身を取りまく万物事象を語ったことが一度でもあったであろうか? 喩えて言えば、地中から見つかった変哲なき石片に刻まれた謎の象形の意味を自らの思考のみをもって解いたことがあったのかということである。
今、人間に求められている能力とは、そのような能力である。 かような謎を解こうとするならば、その石片を肌身離さず持ち歩き、四六時中に渡って 「考えるでもなく眺め、眺めるでもなく考える」 ような思考状態を淡々と継続することになるであろうことは想像に難くない。 そして、とある日、突如として、その謎の意味を言葉ではなく、「体をもって頓悟する」 のである。 満たされた感動とはそのようなものであろう。 しかして 「自らを生きる」 とは、かくなる 「体験の日々」 そのものにあるのではあるまいか?
「理の変換器」 とは科学的合理性に依存する現代人の姿であるが、その理の変換器は、今後は 「人工知能(AI)」 に置きかえられていくことになるであろう。 いくら優秀な人材であっても、コンピュータを使った理の変換器には到底太刀打ちできない。 理の変換器としての多くの人材は淘汰を余儀なくされるであろう。 これによる被害は甚大である。 であれば、今後、人として向かうべき世界は、コンピュータが得意とするロジカル(論理的)な 「理の世界」 ではなく、エモーショナル(感情的)な 「情の世界」 であろうことは 「漠然と推察」 できる。 だがそれが如何なるものかは、これから展開されるであろう 「人工知能社会」 の動向を見守る以外に他に手立てがない。
2023.02.27
理から情への転換
人工知能社会における 「理から情への転換」 を実現する左脳を使ったロジカル(論理的)な思考から、右脳を使ったエモーショナル(感情的)な思考への転換はいかにして可能なのか? 転換への鍵は 「縄文と弥生」 の狭間に隠されている。 なぜなら、縄文から弥生への転換が、呪術的でエモーショナルな 「情の世界」 から機能的でロジカルな 「理の世界」 への転換であったからに他ならない。 であれば、その逆の転換においても、当然にして、同じ動機が潜在しているはずである。
第1687
回 「縄文と弥生」 の論考は、そのための 「テキスト」 である。 「理の変換器」で提示したごとく、そのテキストを 「考えるでもなく眺め、眺めるでもなく考える」 ことを淡々と継続することが肝要である。 さすれば、必ずやその鍵はいずれか見つかるであろう。
2023.03.01
チャットGPT
第852回 「ホーキング博士の警告」 を書いたのは2015年2月のことであった。 その中で博士が 「完全な人工知能の開発は人類の生存に終止符を打つだろう」 と警告し、最終的には科学技術による大惨事が 「ほぼ確実に」 起きると指摘したことを述べている。
その警告は 「チャットGPT」 の登場でいよいよ現実化しつつある。 チャットGPTとはユーザーが入力した質問に対して、あたかも人間のように自然な対話形式で 「AI (人工知能)」 が答えるチャットサービスである。 2022年11月に公開されるやわずか2か月でユーザー数1億人を突破した。
スマートフォンの普及によって 「考えなくなった人類」 はこのチャットサービスでさらに考えることをしなくなるであろう。 考えることをやめた人類に、その後、いったい 「何がのこされる」 というのか? 人間のロボット化が世に喧伝されて久しい。 だがその 「ロボット化された人間」 に人工知能が搭載されるとなれば、ホーキング博士に言われるまでもなく、「人類の生存」 など風前の灯火のごとくであって、もはやその 「存在理由」 さえ失われてしまいかねない。
ロボットを人間化しようとしていた人類が、自らをロボット化してしまっては、もはや笑うに笑えない。 「ミイラ取りがミイラになる」 とはこのことである。
2023.04.11
人類に未来はあるか?
チャットGPTが登場し、人類が保有する職種の80%が無くなると予測される 「人工知能(AI)」 の普及がいよいよ目前に迫ってきた。 だがなぜか危機感が感じられない。 FA(ファクトリーオートメーション)で肉体労働から解放された人類は、次なるIT(インフォメーションテクノロジー)で知的労働からも解放された。 これらふたつの解放は奴隷的労働からの解放という大義から考えれば名分が立たなくもないが、人工知能による 「思考からの解放」 はこれらの 「労働からの解放」 とは本質的に異なっている。 万物の霊長と尊称される 「人類の存在理由」 はただひとつ 「考える」 という一事にあったはずである。 人工知能によって 「考える必要がなくなった」 と喜んでいていいものであろうか?
「考えなくてもいい」 という人間にとっての 「究極の解放」 は人類の未来に何をもたらすのか? 希望なのか? 絶望なのか? これらのことに思いすることもなく 「便利さだけ」 に浮かれまくっている人類に、はたして未来などあるのであろうか?
2023.07.14
繁栄か? 破滅か?
アメリカの未来学者、アルビン・トフラー(1928〜2016年)が、自著、「未来の衝撃」、「第三の波」、「パワーシフト」、「富の未来」 で次々と描いてきた 「未来予測」 は大筋でその通りに進行してきた。 そのトフラーが生きて今あったならば、どのような未来を予測するのであろう。
狩猟採集社会→農耕社会→工業社会→情報社会と発展と繁栄を続けてきた人間社会は、コンピュータを基とした情報社会に至るや、確とした未来が描けなくなってしまった。 ある人曰く、繁栄よりも持続可能な社会(SDGs)をめざすべきであると。 またある人曰く、人工知能によって社会をコントロールすべきであると。 またある人曰く、何もしないことであると。 だが誰も 「その優劣を裁断する」 ことができない。 人類の未来は 繁栄なのか? それとも破滅なのか?
37歳で早世したフランスの詩人アルチュール・ランボーは、18歳の時に書いた 「地獄の季節」 の中で 「見えた、何が、永遠が」 の一節をのこして詩人を廃業、放浪の旅を続けたあと、最後はアフリカの武器商人に転生したという。 ランボーが見た未来とは、いったい 「何であった」 のか? 「究極の永遠」 はまた 「究極の無」 で もある。
2024.07.01
人工知能におまかせあれ
人工知能があらゆる分野に普及しようとしている。 人工知能は極度に理に偏した人間のようである。 それが理屈っぽい人間ならまだしも、その 「理」 が資本主義経済と結びついて 「利」 に変じるとなると、いささか違和感を覚える。 コンピュータで構成された人工知能がロジック的思考(論理的思考)の根源である 「理に偏する」 ことは当然のことであるが、「利に偏する」 ことを人間はいかように考えたらよいのであろう。
人工知能はあくまでも 「人工」 であって、「自然」 ではない。 温暖化、感染症、薬害、汚染 ・・ 等々。 現代人が今、直面している災禍は、すべて人工に端を発したものであろう。 だが人工知能の災禍は、それらを凌駕する人類史上最悪のものになる可能性を秘めている。 古今、自然を超えるほどに完璧な人工などあったであろうか? 「人工知能におまかせあれ」 では、あまりに事態に無頓着であって、無責任きわまりない。
2024.07.08
パンドラの箱
スウェーデンの王立科学アカデミーは、10月8日、2024年度のノーベル物理学賞を 「人工知能の機械学習の基礎となる手法」 を開発した、米プリンストン大のジョン・ホップフィールド教授(91)と、カナダ・トロント大のジェフリー・ヒントン教授(76)に授与すると発表した。 両氏の成果を基に発展した 「人工知能(AI)」 はスマートフォンなどの顔認識機能や、翻訳、医療での画像診断等々に活用されている。
発表会見に電話で参加したジェフリー・ヒントンは、受賞の驚きとともに、「やってはいけないことをやってしまったとの後悔もある」 と複雑な心中を吐露した。 米グーグルの副社長を務め、AI分野の製品開発に関わったジェフリー・ヒントンであったが、その危険性を察知し、「悪意のある人たちに利用されるのを防ぐ手だてが想像できない」 として、2023年に同社を退任している。
ジェフリー・ヒントンの苦悩は、「原爆の父」 と呼ばれたアメリカの天才物理学者、ロバート・オッペンハイマーの苦悩と酷似する。 科学の成功者ではあるのだが、やってはいけないことをやってしまった者の後悔は、永遠に消えることはないのである。
「原爆」 といい、「人工知能」 といい、ひとたび 「パンドラの箱」 を開けてしまったら、もとには戻せない。 「知ってしまった」 ことを 「知らない」 ことにすることはできないのである。 しかり、人類にとって、「人工知能は原爆ほどに危険」 なのである。
2024.10.10
科学的合理主義の終着点
科学的合理主義全盛の時代は 「有から有を生む時代」 であって、その様相は、
第619回
「科学的合理主義の終着点」 で描いた。 そんな時代での人間像を、ドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)は、以下のように描写した。 そもそも科学的合理主義が全盛の時代は、すぐれた頭脳、理解の早い実用的な人間のための世紀であり、彼らは、たとえみずからは最高度の天分を有さずとも、ある程度の器用さを身につけているだけで、衆に抜きんでるものと思っているのです。 しかり、それは、今、眼前にする津々浦々の人々の風景である。 ゲーテが望んだのは 「無から有を生む時代」 であって、人工知能を巧みに操るような人々の時代ではない。 勿論、ゲーテが現代にあって、「人工知能の未来は」 と問われたら、即座に 「否」 と首を横に振るに違いない。 なぜなら、人工知能こそが 「科学的合理主義の終着点」 そのものであるからに他ならない。
2024.10.16
〜 エピローグ 〜
ゲーテの思想を研究したオーストリア生まれ(1911年)の文芸評論家エーリヒ・ヘラーは、科学的合理主義の行き着く先を 「技術的進歩とは、地獄をもっと快適な居住空間にしようとする絶望的な試み以外のほとんど何物でもない」 と簡潔、かつ直裁に語っている。 まさに 「人工知能時代の本質」 をみごとに予言しているかのようではないか。 その正鵠を貫いて余りある。
2026.03.03
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